その人が今のその人になるには 小田急線のフェミサイドから考える

小田急線電車内で、男が突然刃物で女子大生を刺し結果10人がけがをするという事件が起こった。

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警察の取り調べに対し、「6年ほど前から幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」「大学時代にサークル活動で、女性から見下された。出会い系サイトで知り合った人ともうまくいかなかった。勝ち組の女性を殺したいと思うようになった」などと語っているという容疑者。
この事件が起こる前に万引きがばれ、女性店員に注意されたことなども一緒に話しているようだ。

こんな事件が起きたり、昨日はメンタリストがホームレスや生活保護受給者に税金を使ってほしくない、いる必要性がない、みんなの迷惑にしかなってないのに、命に優劣はありますよね?という発言を繰り返したYouTube動画が配信されたり。

連日なんでこんなことばかり起こるんだろう。気が滅入っている。

その人が今のその人になった原因

こういうことが起こったときに、私はいつも「なんでこの人はこういうふうに考えるようになったんだろう?」と思う。

人が今のその人になるまでには、様々なものの影響を受けているはずだ。
例えば私は#MeTooを知るまでは性暴力や痴漢、セクハラに遭うのは自己責任だと信じていた。女性が悪いと思っていた。
なぜかというと、それまでにきちんと性暴力に関する知識を得るような機会がなかったから、そして、社会やメディアから「女性側に原因がある」というメッセージを受け取っていたからだと思う。
当時は今よりももっとワイドショーやポスター、ドラマやちょっとした知り合いの発言が女性を責めるものが多かった。私が生きてきた中で、「性暴力やセクハラはする方に原因がある」という言葉を聞いたことは一度もなかった。

とにかく目につくのは自己責任論。売れる本もそう、取り上げるメディアもそう、広告もそう、法律からのメッセージまでもがそう。人気のある芸能人もそう。そんな中で生きていると、そう思ってしまって仕方がなかったと思う。親もそうだし。

私は運よくフェミニズムに出会うことができた。だから女性も男性と同じように一人の人間だし、男性のために生きているわけではないと知ることができた。それまでは女は男の人に好かれなければいけないと本気で信じていた。もし今回の小田急線のような事件が起きたら、容疑者に同情していたかもしれないし、「男の人を立てないといけないよねやっぱり。」と更に価値観を深めていったかもしれない。でも、ここで「これはフェミサイドだ」という声が大きくなれば、またそこでひとつ「あれ?男の人を立てなきゃいけないんだっけ?」と考え直しているかもしれない。
そうやって、日々私たちの「当たり前」「常識」という価値観が作られて、それをもとにどういう言動をするのか、が決まってくる。

フェミサイドだと認識することが大切な理由

今回、私がこの事件を単なる無差別とせずにフェミサイドときちんと認識するべきだと主張している理由。それは、なぜ犯人がこのような考えをするようになったかを明確にしないと、同じような人を生み出すだけだと思うからだ。
実際Twitterには、彼と同じように「女にバカにされたなら仕方ない」とか、「気持ちが分かる」とか、「バカにするようなことをした女性に問題がある」といった言葉が大量に見られる。この犯人が特別なわけではないことがよくわかるだろう。
そしてこの考え方を元に、Twitter上で嫌がらせをするのか、女性を狙って痴漢やセクハラ、性暴力をするのか、今回のように刺してやろうと思うのか。どれを選んだかが違うだけで、根底の目的や前提としてある価値観は同じなのだと思う。

それは、どれも「相手が自分と同じ意思のある人間だ」ということがわかっておらず、「自分よりも劣った生き物だ」と認識していることだ。

Twitter上で私につきまといをしてくる人の多くが、私よりも自分の方が頭がよくて正しいことを言っていると信じている。
なので、批判し私の言動を正そうとしてくる。私が言っていることは間違っていると信じている。
私の意見もその人たちの意見も、「同じように存在する対等な意見だ」ということがわからないので、私が黙るまで監視し続ける。
その人たちは自分と違う意見の男性に意見をすることはあっても、それを「正そう」とするところは見ない。
それが、男性が「自分も炎上や暴言を受けることはあるけれど、女性のように長期間にわたってつきまとわれるようなことはそうそうない」と発言する理由だと思う。

それに、よく「議論をするべきだ」とか「返信をするべきだ」ということも言われる。私が返信したくない、関わりたくないという気持ちは考えなくてもいいと思っているようだ。ここでも自分の思う「返信をするべきだ」が私の思う「返信したくない」よりも優先されると思い込んでいる。本来、Twitter上でも関わるときはお互いが「関わりたい」と思ってされることだ。一方が拒否をしていたら、それは成り立たないし無理やりしたらストーカーとみなされるのは当然だろう。しかし、「返信をしない石川が悪い」になる。それは私が、相手よりも劣った存在だからなのだろう。むこうにとって私の意思は必要ないも同然なのだ。

女性にセクハラや痴漢をする人たちは、相手の女性がどう感じるか、ということを無視している。「自分が触りたい」が、「相手は触られたくない」よりも優先されると信じているのではないか。
女性が性的対象なのだから女性にするのは当然なのではないかと言う人がいるが、多くの女性は男性が性的対象なのではないのか?
しかし、電車内で女性から男性への痴漢はほとんど起こっていない。なぜだろう?
それは、単純に男性のことを人として見ているのだと思う。自分と同じように、意思のある人間だから、触られたら嫌がるかもしれない。もし触りたいと思っても、自分の触りたいが相手よりも優先されるわけがない。人に触るときは「お互いが触ってもいい」とお互いに認識したときだけだ。そう思えるのは、お互いが対等(もしくは男性の方が上)だと思っているからではないだろうか。
多くの痴漢が女性を狙うのは、「女性が好きだから」、ではなく「自分の性的な対象である女性は相手の意思を確認せずに触ったりしてもいいと思い込んでいるから」なのではないか。

同じように今回の犯人も、「ナンパを断られた」「デートの最中に断られた」「万引きして注意された」などと理由に「幸せそうな女性を殺したかった」と言っている。
女性は嫌だと思ったナンパやデートを断ったらいけないのだろうか?万引きを注意してはいけないのだろうか?
相手のことを意思のある対等な人間だと見ていたら、ここで怒ることができるだろうか?
自分の「ナンパが成功したい、デートしたい、万引きしたい」だけが優先されて、女性の「ナンパを断りたい、デートをしたくない、万引きをされたくない」は考慮しなくていいと思っているのではないか。

相手のことを対等に見ることができる、またはそのような環境で育ってきた人は、デートなど断られたときは「自分に原因があったのだろうな」と考える。相手には自分を拒否する権利があることを当然知っているからだ。

しかし、ここにあげた人たちはみんな、相手に自分を拒否する権利はないと思い込んでいるのではないか。だからこその行動だと思う。

自分がどうやって今の自分になったのか

そして、それを本人がきちんと自覚していない可能性も高い。
私に絡んでくる人に「何が目的か」「嫌がっている人に嫌がらせし続ける自分のことをどう思うのか」と聞いても、「だってお前が間違ったことを言っているから」といって、主語を自分にして語ることができない。「自分がどういう気持ちで、どうなることを目的にこの言動を選んでいるのか」を語ることができない。
そして、今回フェミサイドであることを必死で否定したい人たちとその人たちは同じ人たちだ。自分の言動の目的を見つめることができない人たちが、今回の犯人の目的も見つめることができない。

一体何が原因で、その根底にあるものは何か、そしてなぜそれができあがったのかを知り、それを修正していかなければ同じような人は生まれ続けるだろう。
彼は何も特別な人ではない。女が自分の言うことを聞かないことを、女が悪いと本気で思っている人は日本にたくさんいる。単に意見の違いでもめたことを、「自分の言うことを聞かないから」という理由でしつけとして殴る人が世の中には存在する。自分の意見が正しくて相手の意見が間違っていると思い込まないとできないことだろう。

親が女性蔑視がひどかった、テレビで繰り返される女性蔑視発言が当たり前だった。女性に注意を促すような性犯罪のポスター、男性のための女性のセクシーな水着姿はたくさんあるのに、女性のための男性の水着姿はそうそうないという非対称性、女性の身体的特徴で客を呼び込もうとするポスター、ネットに溢れる女性をおもちゃにしバカにした発言、女性の権利のために闘っている人を揶揄してきた社会、愛されることばかりを求める女性雑誌、反対に愛されることを求めない男性雑誌、女性がほとんどいない現政権、誰かを殺したいときに女性を狙うのは当然かのような言説、お母さんだけが家事育児をするかのようなCMや広告、「誰が稼いでると思ってるんだ」という「主人」、しないと嫌われるよと脅すダイエットや脱毛の広告。

これらは一部だが、確実にこの社会に生きる私たちの価値観に影響を与えているだろう。こういうものに囲まれて育ってきた私は、女性は男性のために存在しているんだと勘違いしてしまっていた。しかし、フェミニズムを知ることによってそれは違ったんだと知ることができた。でも、フェミニズムがなかったら今も私は昔の私のままだろう。

例えば私はまつげをはやしているが、もしもこの社会に「まつげを切らないと愛されないよ!」という価値観が存在していたらまつげを切りまくっているかもしれない。でも、そんなことは聞いたことがないので、そのままはえている。
でも、こういう価値観を作ることは不可能ではないと思う。時代によって新しく価値観が生まれたりなくなったりしているが、みんなこの社会に生きている人たちで作っているのだから。

だからこそ、小田急も警察もメディアも、大きな影響力のある自分たちのこれまでの在り方を考え直してほしい。これまで女性を狙った多くの犯罪をぼやかし、その原因を女性にあるかのようにしてきてしまった責任も大きいのではないか、と考える。きちんと「女性を狙った憎悪犯罪が存在している、そしてそれは女性のせいではなく女性差別の問題だ」と表明することによって、ハッとする人や解決策を考え出す人たちが出てくるのではないか。

そして、小田急線の犯人もメンタリストもあなたも私も、自分がどうやって今の自分になったのか、考える必要があると思う。
すべてが自己責任ではないし、すべてが自分の努力でもない。なぜ自分は努力ができたのか、なぜ自分は苦しんで生きてきたのか、なぜ自分は今こうやって生きていられることができているのか。

今回のように女性は自分よりも劣っていると思い込んでしまった原因はなんだったのか、みんなで検証して社会の在り方を修正していかなければならない。
犯人の起こした事件の結果は警察や司法が裁く。しかし、原因や動機は私たちがみんなで考えて同じことが起きないように社会を見直していかなけばならない。

その第一歩として、まずは今回の事件をフェミサイドだとみんなが認識することが大切だ。何が原因だったのか認識しなければ、問題は解決しないからだ。「大勢の人を殺したいと思った」の前にある「幸せそうな女性を殺したいと思った」の前にある「ナンパして断られて/万引きを注意されて腹が立った」の前にあるその心の奥底を検証したい。

過去に女性蔑視をしていた自覚がある人は、なぜ自分がそのように思うになっていたのかまで共有してもらえたらうれしい。
今、この事件をフェミサイドだと認めたくない人は自分がなぜそこまでかたくなに認めたくないのか、自分と向き合ってほしい。そうすることでしか自分の辛さを救うことはできない。どうか、問題と正しく向き合う勇気を持ってほしい。

明日8/14(土)に新宿西口で行われるデモに私も行こうと思う。

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