#幸せそうという理由でわたしたちを殺すな

今朝、柚木麻子さんの連載記事を見た。

>>幸せそうで、なにが悪い――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

先日の小田急線の事件について触れられたものだ。

記事の中で柚木さんは、ご自身が幸せそうにいたときに怒られた過去のお話をされている。ともさかりえには思わず笑ってしまったが、私も過去の自分を振り返らずにはいられなかった。

22歳くらいの頃、昼間はパチンコ屋で働き、夜はガールズバーで働いていた。この頃はグラビアの仕事をしつつも、舞台にも積極的に出演していて、たくさん働かなければいけなかったので頑張っていた。
ある日、ガールズバーに来たお客さんにそのことを話した。普段何をしているのか?と聞かれたからだったと思う。
そして、上記のことを話した。すると、そのお客さんが突然怒りだして「自分勝手だ!」と怒鳴った。説教され始めたのだ。
何がなんだか全然わからなかった。
自分勝手、自己中心、そんなような言葉を次々とぶつけられた。
私は全然よくわからなかったのだけど、お客さんでもあるし、私よりも年上の男性が言っているのだから「私のやっていることは自分勝手なのだろうな」、と思い謝罪した。

今でも私がこの時のことを覚えているのは、それだけ衝撃的だったし理不尽さにまったく納得がいかなかったからだと思う。

しかし、今朝の柚木さんのエッセイを読んで、もしかしたらあの時の私は彼の目にとても幸せそうに映っていたのではないか?と思い直した。
当時の私は、やりたくないグラビアばかりをさせられていた中で「お芝居をする」という希望を見つけ、とても前向きな気持ちをもって活動していた。生活は大変だけど、こうやってバイトしながらも楽しいというようなトーンで話したと思う。そんな私は幸せそうに思えたのではないか。

だって、私が私のために私の時間を使って芝居をしたりそのためにバイトに明け暮れることの何が自分勝手なのだろう?誰に迷惑をかけているのだろう?何回考えても全く意味がわからなかったこの出来事の答えを、今日やっと見つけた気がした。

一方、逆の出来事もあった。
知り合いの男友達と散歩しているとき、少し神社も通った。すると、知らないおじさんが話しかけてきて「入ったんだからきちんと手を合わせていきなさい」と言ってきた。そんなルールねえだろと思いながら「は?」みたいな顔をした私を見て、隣にいた男友達にむかって「可愛くねえ女だな」と言って去っていった。

幸せそうにしていれば説教され、不幸せそうにしていれば説教され。
これがいわゆるダブルバインドというやつか。

私が私らしくいると、機嫌が悪くなってしまう人がこの社会にはたくさんいるのだ。

Twitter上で私は、怒ることを選択している。しかし、それを阻止しようとする人たちにたくさんたくさん出会ってきた。
私がTwitter上でどういう振舞いや言葉遣いをしていようと、私の勝手のはずだ。しかし一方で、楽しそうにキラキラした投稿をしている女性だってバカにされたりしている。タピオカとかその一例じゃないか?SNSでは、その人がその人の思うように投稿すればよいし、自分に合わないと思うならば見なければいいだけの話だ。しかし、それらを圧力によって「やめたほうがいいかな」と思わせて来るのは、大体が男性だった。

こういったダブルバインドはこの日本社会にたくさんたくさん存在する。
少し前の「わきまえない女」だって、わきまえなければ会議から排除されたり話が長いとみなされ、しかしわきまえれば重要な会議で発言もしない「仕事のできない女」とみなされるのではないか?
化粧やヒールを女性のビジネスマナーとして求めるのに、実際に忠実にしていると「女を使って仕事をしている」とか言われる。しないと「女を捨ててる」「マナー違反」というくせに。
セクハラに抗議すれば「受け流すのが大人の女」と言われ、黙っていると「なぜ怒らなかったの?」と言われる。

つまり、女は女であるというだけでなんでもかんでも悪いことをしているかのように言われるのだ。

小田急線の事件が起きたときに、「#幸せそうという理由で私たちを殺さないで」「#幸せそうという理由で私たちを殺すな」というハッシュタグができた。一部批判もあったようだが、私はこの事件によって生まれる抑圧的な効果は「女性が自分を幸せに見せないように生きようとしてしまうこと」、だと思う。
しかし、実際には自分がどう幸せそうに見せていようと、どう不幸せそうに見せていようと、相手が勝手に「こいつは幸せそうだ」と判断したら刺されるのだ。私たちがどう振舞っていたか、なんていうのは関係ない。
だから、この事件があって不幸せそうに振舞うなんて何の意味もない。そういうカウンターのハッシュタグだったと思う。

私たちは、自分の思うように自分で振舞う権利がある。
怒りたいときに怒ったり、怒りたくないときに怒らなかったり、楽しいときに笑ったり楽しくても笑わなかったり、つまらなくても笑ったりつまらないときに不機嫌な顔をしたり。何を選択してもその人の自由だ。それが、自分が自分として生きるということだと私は思う。
それは殺されたり嫌がらせをされることと引き換えではない。誰もが持っている権利のはずだ。

無理して幸せそうに振舞う義務なんてない。
無理して不幸せそうに振舞う義務なんてない。

差別は、その人がその人であることの邪魔をする。
それはその人から喜びを奪い、生きる気力までも奪う。結果仕事や人生そのものに影響を及ぼしてしまう。
私が私らしく生きること、みんなが自分として生きること、それは差別のない世の中でしか成り立たないことなのだと思う。

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#幸せそうという理由でわたしたちを殺すな” に対して1件のコメントがあります。

  1. ささみ より:

    いつもながら、超いいねでハートが広がるスタンプを送りたいくらいです。

    小田急事件で、フラッシュバックが起きてしまい
    (アルコール依存の身内に幼児期に刃物を向けられたトラウマがあります)
    Twitterをのぞけずにいたのですが石川さんのツイートだけはYahoo検索上でずっと読ませていただいて元気もらっていました!

    (忘れてて、普段はなんでもない傷が突然その場面にもどされてしまいますよね。
    被害者に無料で迅速にケアが行われる未来がくること本当に祈っています。)

    幸せそうにしてれば腹を立てられたり
    突然攻撃され不幸そうにしてれば可愛げないと言われ。

    笑わなければ生意気、愛想がないと言われ
    笑えば俺のことが好きなんだと言われる。
    断ったら「お前が誘惑した」とか言われる。

    そういう世の中を生きてるんだなぁと
    しみじみ。

    毎度のことながらものすごい共感です。
    もやもやを言葉にしてくださってありがとうございますっ!!!!!!
    ほんとにそうそうと頷くながら読ませていただきました。

    もっともっと言いたいことは溢れていますが
    まとまらないのでこの辺で♡

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