#FreetheNipple
久しぶりに作品撮りをしました。
Shiori Ota フォトグラファー
Chiya メイク
Akane Koizumi スタイリスト
フェミ二ストの皆さんとヌードの撮影。
私にとっては自分の身体を取り返す作業でもあります。
Instagramにこの写真を投稿したら、アカウントに入れなくなってしまいました。9月くらいにも同じように入れなくなったことがあって、その時はadidasのこのツイートをストーリーでシェアした時でした。
私は二十歳の頃にグラビアのDVDで、勝手に乳首が映っているものを販売され、勝手に価値をつけられ、私の許可無くそれは全世界で見られてしまうようにされました。販売されてしまった、と知った瞬間の自分の心のショックは今でも忘れられません。
じゃあなんで私は今こんな写真を撮っているのか?それは、私の身体の決定権を私が持ちたいからです。
勝手に女の乳首を「隠すもの」として、だからこそ「価値があるもの」「性的なもの」と勝手に見なし、本人の主体性関係なくそれを男のために存在するかのように扱う社会の価値観に抗いたいからです。
男の乳首は自由に出せるのに、女の乳首だけ制限をかけ、まるで価値があるようにして、実際にはただモノ扱いしているだけの社会の価値観に抗いたいからです。
自傷行為?いいえ。本来出してなんの問題もないものを出しているだけなのです。
グラビアの仕事をしている人たちは、「乳首を出すのか、出さないのか」というところにものすごく大きな壁があることを実感していると思います。
それは上記のような歪に作られた社会で成り立つ構図です。
出さなければ出せと言われ、出したら「価値が落ちた」とされる。「脱げる特権」?だったら男性の乳首もすぐに隠して、価値を高めましょう。そして本人の同意なく晒させましょう。「脱がなければ仕事がないよ」と言って脅して出させましょう。そして出した後は「一回脱いじゃってるからねー・・・」と言って仕事を制限させましょう。
そんな特権、誰か欲しい人いますか?
Instagramでは、#freethenippleというハッシュタグ、見ることができません。
女と男の乳首は別のもののように扱われています。
私が男だったら、どれだけ乳首を出してもアカウントはロックされなかったでしょう。
わかります。確かに今はまだ、私が過去にされたように本人の許可のないものが他者によって広められてしまう時代。SNSを使って性的なハラスメントをする人がいる以上、本当にその写真が本人の許可を取られているのかという確証はありません。
しかしだからと言って、いつまで女性の乳首にだけ制限をかけ続けるのでしょうか。Instagramはそうやって女性の乳首にだけ制限をかけるのならば、同時に丁寧な説明と、社会が女性の胸を性的に扱ってきたことに対しても抗議するべきなのではないでしょうか。
*****
こうやって写真として出す時に大切なのは、女の身体を女の身体以外のためのものに使わないこと、本人がやりたいと思っていること、加害行為がなされていないかということ、きちんと同意があるのかということ、公共性のある広告にアイキャッチとして使われていないのかということ。だと私は考えています。
撮影はとても楽しく、何よりも安心して過ごせる時間でした。私は過去に乳首を出されたことそのものに対して怒っているのではない。
"私の同意なしに"私の身体を勝手に扱われたことに怒っています。
私の身体は、ここに存在するだけです。それは男の乳首と同じように、特別騒ぐようなものではありません。
規制するようなものでもありません。誰かのためのものではありません。需要があろうとなかろうと、写真に映していいのです。
男から性的に見られたり評価されることへの抗議の写真です。異性からの美しいですコメントまじでいりません。「見たくない」と思うならすぐさまブロックしてください。駅の広告と違って、「見ない選択」ができるところに私は写真を載せています。
美しいと思って欲しくて載せてません。頼んでもないのに評価するなという気持ちで投稿しています。
知らない人から美しいと思われても全く嬉しくないしむしろ気持ち悪いです。あなた方の評価に価値はありません。
友人が「医者に身体見せに行って綺麗ですねって言われたらきもいやろ」と言っていて、ほんとそうだ!と思いました。
こちらの目的が「あなたに美しいと思って欲しい」「あなたに綺麗だと思って欲しい」「あなたにセクシーだと思って欲しい」ではないときに一方的に評価されるなんてきもすぎる。
でも、「女の裸」=「男を喜ばせるためにあるもの」「自分が評価するもの」「エロいもの」だと思い込んでいる人たちは、そこに女の裸があるだけで(時に裸ですらないのに)自分が評価していいものだと思ってしまうし、そこにいる女は自分に評価されたくて裸になっていると勘違いしてしまう。
「違います、私がここで裸の写真を載せているのは、女と男の身体の扱われ方に抗議するため、そして、私の身体は私のものだと表明するためです」とわざわざご丁寧に書いてあげてもなお「いやいや、だって裸の写真を載せるってことはそういうことでしょ笑」とか言い出す。
つまりあほ。
他人のことを気軽に「美人ですね」とか「可愛いですね」と言うことが失礼だっていうのはそういうこと。
その人はあなたに評価されたくてそこにいるわけではない。ただそこに人間として生きているだけ。
それなのに「そういうこと言うのやめてもらっていいですか」と言うと「褒めてやったんだから受け取れ」とか言う人がとても多い。ほら、褒めて「やった」なんだよね。それって相手を下に見てる証拠。
「お前がどう思おうが知ったこっちゃない、俺の言うことを黙って受け入れろ」。そういう見下し。
だからこっちもお前らの気持ちなんてなーんも考慮してやらずに言い返すんだぜ、「きもーい!」
二十歳の頃に勝手に販売されてしまったDVD、今やっと弁護士さんにお願いしてもうすぐ調停です。本当に時間がかかります。もちろんお金もかかる。労力もかかる。何度も自分が被害にあった作品を見返して説明をしなければならない。だから何度も途中で断念した。いまやっとあまり詳しく説明しなくても分かってもらえる弁護士さんに出会えたから実行できた。こういう思いはもう他の人にはしてほしくない。だから私が闘う。
Instagramで写真が消されてしまうことは地味に私の心を削っていく。私の乳首は性的なものなのか?センシティブなものなのか?卑猥なものなのか?だとしたらなぜ?なぜ男性の乳首は性的なものでもなくてセンシティブなものでもなくて卑猥なものでもないのか?なぜ?誰が決めた?誰がそうした?誰がそうし続けたがっている?そして、その価値観は一生変わらない普遍的なものなのか?
あなたは女性の裸を見たときに何をどう感じるのか?「こんなものを載せて」と思うのか、思うならなぜなのか、それは私の乳首のせいなのか、それとも「女の身体はエロいものだ」と思わせた社会のせいなのか、女の身体は存在し始めた時からセンシティブなものだったのか?なぜ男の身体はそうではないのか?本能的なものなのか?それは本当にそうなのか?
私はこれを明確な女性差別だと思う。
石川優実最新著書「もう空気なんて読まない」は河出書房新社から発売中!
「もう空気なんて読まない」特設サイト
いつまでもずっとお元気で。
いつかまたあなたが表現された作品を見たいです。
最近お目にかかれることが減ってるので、気になってました。また元気に活動されているところを拝見できればと思います。