労働としてのセックスワーク
先日ある業種の方が、こんなことを教えてくださいました。
「関係者同士の関わりがどうしても密になるので、健康診断はもちろんですがリスペクトトレーニングやストレスチェック、ものによっては心理テストや面談などで適性をチェックすることが推奨されています。」
これはセックスワーク以外の仕事でのことです。
目次
性暴力の被害における心身への影響を軽視しないでほしい
以前、NHKでこのような記事が紹介されました。
この中で過去にAVに出演された方が以下のような発言をされています。
「なぜそんなことをしていたかというと、『自分の受けた被害はたいしたことじゃない』って思いたかったからです。それまでの仕事や家庭がうまくいかなくなったことで、かつていろんな人から受けた被害体験も全部“売り”にして強く生きていく必要があったし、そうやって自分の被害を売ることでAV女優としての評価が上がって、ファンも増えた。過去の被害体験は、100万ほどの大金に変わりました。そうやってお金をもらうことだけが当時の自分の価値だったし、『これで被害を乗り越えられた』とも思いました」
“あれはトラウマの再演だった” AVに出演した、ある性被害者の告白
それに対して専門家の方はこのように言及されています。
トラウマ治療に詳しい精神科医の白川美也子さんは、性暴力の被害経験がある人がAVを含む性産業の仕事にみずからつくケースは決して少なくないといいます。
“あれはトラウマの再演だった” AVに出演した、ある性被害者の告白
こうした現象の背景にあるのが、“トラウマの再演”というメカニズムです。
白川さんによるとPTSD(心的外傷後ストレス障害)の発症には、被害体験時の感情や思考、身体感覚が冷凍保存されたように生々しく残る“トラウマ記憶”という特殊な記憶ネットワークが関係しているといいます。
そのトラウマ記憶には、被害の瞬間に感じた「自分が悪い」「自分は汚れている」といった自己認識のゆがみや、そのときに被害の影響を少なくするための防衛として生じた「私も好きだったから」「愛しているからそうした」など、加害を正当化したり理想化したりする思考のゆがみが残っており、物事の見方や対人関係の築き方に影響を与え続けます。
それによって、加害や被害を反復してしまうという“トラウマの再演”が起きるのです。
私は、セックスワークも始めるときに慎重な同意と健康診断が必要だと思います。
「性的な行為」は、その他の行為に比べて心身への負担が大きいものと認識しています。だから「性暴力」というものがわざわざ定義されたり、同意年齢について議論されたり、「性的同意」をとりましょう、Yes means Yesといったことが啓発されているのだと思います。
そういったセンシティブなことや、心身への影響が高いと思われるを扱う仕事に従事するとき、その他の業種と同じように労働者の健康診断はしっかりなされないといけないのでは、と思います。
先日、お笑い芸人さんが映画の撮影で脳に影響を及ぼすような状態になってしまったので撮影を中断した、というニュースがありました。当然きちんと治療をし、再開するときも医者の判断が必要でしょうし、より一層気をつけて撮影が行われると思います。
それに、撮影前にもし彼女が怪我をしているような状態だったら、そもそも撮影は開始されなかったと思います。
性暴力だって、精神的な暴力を受けた状態であるのだから、それがきちんと治療されていない状態でセックスワークを始めることには慎重にならなければいけないのではと私は思います。
お笑い芸人さんがきちんと完治されていないまま撮影を再開したいと言い出しても、「本人の主体的な意思を尊重して撮影をします」とはならないのではないかと思います。でもそれが、セックスワークだとどこからともなくそういう人が現れる。
もちろん、性暴力を受けた傷は目に見えません。目に見える傷と同じように他者が判断できるものではありません。自分ですら判断できないというのが、性暴力やその他精神的な暴力の特徴なのではないですか?
だからこそ、始める前にせめて性暴力と受けたことによる心身の影響を説明することや、健康チェックは必要なのではないでしょうか。別に本人が受けていないのなら自分は大丈夫、と判断するでしょうし、そこで自分が思い当たることがあれば自らカウンセリングに繋がったりするかもしれない。
通常時性的な行為の同意を取る時と同じように、その人が労働として性的な行為をし始めるときには慎重に同意を、業者側、使用者側が取るべきだと思うんです。先日のブログにも書いたように、他の労働の場、例えば映画などで性的なシーンを撮る際はインティマシーコーディネーターを入れて慎重に進めることが推奨されているのですから。
女性に主体性がないのではなく、性暴力が人の主体性を奪う
日本の現状は、未だ「性暴力が何か」ということすら知らない人がとても多いです。しかし、実際に性暴力にあったことのある女性は非常に多い。(痴漢なども含めると相当数でしょう。)性犯罪としては立件されていないけれど、性暴力(望まない性的な行為)だったら経験したことがある、つまり性犯罪や性暴力の暗数が非常に多いだろうと思われる日本で、セックスワークに従事しようという人が被害に遭っていない前提で話を進めるのは、なんて言うんだろう、すごく不誠実だと私は思うんです。労働者のことを本当に考えているとは思えないというか。
私が関わってきた性風俗やグラビア、AV(出演依頼が来たことがある)って、入り口が本当に不誠実なことばかりでした。
ガールズバーの面接と思って行ったら風俗だったとか、現場に行って突然打ち合わせと違う衣装を出してきて受けるしかないような状態にするとか、AVの出演依頼の時はわざわざ不安を煽るようなことを言ったり、風俗は店の男性従業員が女の子に恋愛的な感情があるかのようにして離れさせないようにしたり(色管理って言いますよね?)。
こういう時に、他の労働と同じように健康診断とかなされていたら、自分は性暴力を受けた状態であることに気がつけたかもしれないし、気が付けていたらそれを自分なりに解決できた状態でセックスワークができたかもしれないのにな、と思うんです。
こういう不誠実さを、私はSWASHの要さんや畑野さんに感じているんです。つまり業者側の、女の子を使う側としての視点のみが優先されて、実際に働いてこういう状態になってしまったと訴えている元セックスワーカーには「差別をするな」と言って業界の怠慢を広めないようにし、黙らせる。
「安全な労働環境」って、なにもその仕事最中だけの話ではないはずです。従業員がどんな健康状態なのかだって、労働者が安全に働くことにとても大切な視点のはずで、それは本来本人にだけ任せるのではなくて、仕事をさせる業者・使用者側に義務があるはずです。
そう言ったものを放置したまま「セックスワークイズワーク」と言われても、「全然他の労働と同じように労働者の安全を守ろうとしてないやん」と思ってしまうのです。というか、セックスワークイズワークだからこうやって訴えているんですよ。
ワークであるならば、きちんと労働者の心理的安全を守る努力をしてほしい。性暴力を受けた人が何回も暴力を受けた時と同じような心理状況になるような状況を許容することは、「本人の主体性を尊重している」ではなくて「どれだけ傷を深めても知らんぷりしている」ということだと思います。他の労働だったら許されないでしょう。せめてそういうことはなくしていこうと努力するべきではないですか。
それとも、それをしたら働く人がいなくなってしまいますか。働く人がいなくなってしまうから、傷ついている女性がそのまま働いていることを見てみぬふりをしているのではないですか。むしろどこかで性暴力を受けてもらって、性風俗で働く動機になってくれればいいとすら思っていませんか。
私にはセックスワーク論を支持する一部の人たちの卑怯な言動には、こういう気持ちがあるのではないかと思ってしまいます。
何も知らないまま性暴力を受けて、暴力を受けたことにも気がつかないままその後の人生を過ごし、そのまま「自分で選んで」風俗で働き始め、「他の仕事と同じように、嫌なことを我慢しながら仕事」をして。
AV新法の際、「洗脳」という言葉が頻繁に使われたと思います。それに対して、「女性を主体性のない弱い存在だとみなすな」という反論が出ました。
違いますよ。女性が主体性がない弱い存在なのではない。性暴力は、その人から主体性を奪ってしまう精神的な暴力なんですよ。その人が弱いんじゃない。暴力によってその人が本来持っているはずの力が奪われたんです。そして、奪われ続けたままの人がいるんです。
私は今、やっと自分で性的な行為や表現に対してどうするか、選べるようになりました。それは私が強くなったからではなくて、単に性暴力の傷をきちんと治すことに向かえたからです。そのためには知識が必要で、多くの若い女性はそれが与えられていません。
性的な行為を扱うセックスワークが、これらの情報を共有する義務を負うべきではないのですか。
健康な人が「嫌々性的な仕事をすること」と、性暴力にあって治癒がなされていない人が「嫌々性的な仕事をすること」を、同じ扱いをしないでほしいんです。
私は元々、性的な行為も性的な仕事も、性的な表現も興味がある方の人間だと思います。だからこそ余計、心身ともに健康な状態でこれらの仕事に出会いたかったと心から思います。
そして今やっと、ある程度心に受けた傷の治療ができてきたからこそ、自分で「ここまではできる」「これ以上はできないな」の判断がつきます。でもやっぱり、これは傷だらけの状態ではできないよ。
TERFにFが入っていることの意味
私はこの言葉、trans-exclusionary radical feministにフェミニストという言葉が入っていることに、すごく意味があると考えています。ただトランス差別をする人、ではない。「フェミニストが」トランス差別をする。
私の体のことを決めるのは私であって、私がどんな顔をしていてもどんな身体をしていても、それによって「女らしくない」なんて他人に評価されることを許さず、どんな顔をしていてもどんな身体をしていても、それがその人の内面を形作るものであるわけがない。「女」と言う括りに入れて私を勝手に判断するな。
そう怒っているはずのフェミニストが、自分たちが長年言われてきたことと同じことをトランス女性に向かって言う。
それがどれだけおかしなことか、それを言い表すためにとても的を得た言葉だと思っています。
では、セックスワーク論を支持している一部のフェミニストはどうなんでしょうか?
性暴力を受けた、と声をあげる人がいたら寄り添い、「あなたを一人にしません」と連帯する。
性被害による精神的な影響を決して軽視してはいけない。性的な行為を行う場合は積極的同意が重要視され、「あなたが望んでいるかいないかが大切」と言う。
それが、セックスワーカーやセックスワークをこれから始めようとしている人に対してになると途端に「それも仕事の一つでしょう」「自分で主体性を持って選んだのでしょう」「どんな仕事だって暴力性をはらみます」と声をぶつけてしまう。
セックスワーカーの話す性暴力に対してだけこんなことを言ったり、ひどいとまるで当事者でないかのように扱って黙らせたり、セックスワーカーが仕事を始めるときの同意だけ慎重にならなくていいと判断しているのだから、これがセックスワーカーへの差別でなくてなんなんでしょうか。
労働であるならば、もっと労働者のことを考えてください。他の仕事と同じように、です。セックスワークだけが特別なわけじゃない。
もちろん、そんな簡単にその人が過去に被害を受けていたかなんて判断できないかもしれませんし、判断していいものでもないし、本人に喋らせるものでもない。でも、その情報を与えて本人に判断できるように促すことはできるはずです。
他の国の推奨しているセックスワーク論が、はたして日本の性暴力被害の現状と同じと言えるのかの検証が必要だと思います。
ジェンダーギャップ指数が上位の国と下位の国、性犯罪になる要件が違う国では、その論が同じように作用するとは思えません。
未成年の時点で被害を受けた人も少なくないですよね。大人になってからでもですが、被害に気がついていない人が多いのが性暴力の現状じゃないですか。どうかそれを自己責任とさせるのはやめてほしい。被害に遭ったまま傷を治癒できずにいるのは、被害者のせいじゃない。加害者と、性暴力に甘いこの国のせいです。
現状、まだまだ性暴力にあってそのままの状態の人もいると考えるのが自然でしょう。そういうこぼれ落ちている人を、見捨てないでほしいんです。セックスワーク論を支持する方たちが考える対策じゃあ、当時の自分は安全な状態で働けないです。
私の感想です。
最後にとても感情的な私の感想も。
今日、公園でとても綺麗に紅葉したイチョウの木を見つけました。しばらく眺めていて、「生きていてよかった」「幸せだな」「自然っていいな」と、満たされた気持ちになりました。
私が16歳の時にレイプされてから、#MeTooのムーブメントが起こり、自分がされたことはレイプだったんだと気がつくまでの約15年間、私はこういった幸せを感じることができませんでした。自分が何に幸せを感じるのかを、自分で見つけることができませんでした。自分は何が嫌なのか、何が好きなのか、そんなことを自分が認識できる状態にありませんでした。イチョウが紅葉したことに対して何か感情を持つことができませんでした。色がない世界に生きていたと、今振り返ると思います。16歳の時に性暴力を受けてから15年間、私の心は凍ってしまいました。今やっと溶けて、やっと私は私の感情を持って生きることができるようになりました。
性暴力になんか遭わない、もしくはある程度傷が癒やされた健康な状態でセックスワークに出会いたかった。そしたらもっと、性的なことを当時から楽しめたのかもしれない。
今やっと楽しめるのは、自分の傷がある程度癒されたからだろうと思う。(完全にではないけれど)
確かに今のこの状態で選んだ性的な行為や仕事、表現方法を「洗脳されているんだ」「選ばされているんだ」とは言われたくない。でも、過去の自分の状態はやっぱり「自分で選んだんだ」とは言われたくないです。
自分の傷に自覚的か、そうでないかはとても大きな違いだと思います。他人が気軽に判断できることではないからこそ、性的な仕事を扱う業者は、労働者に平等にその情報が共有されるような環境づくりをしてほしいです。都合よく女性の主体性を持ち出して、セックスワーカーだけ不健康な状態で働かせることをよしとしないでほしいし、フェミニストたちにもう一度「労働としてのセックスワーク」と「性暴力の被害における心身的な影響」を再考してもらいたいと思います。
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