「はるかちゃん」から私に対する名誉毀損が認められました。
2023年2月16日、東京地裁の判決が下り、被告である「はるかちゃん」というTwitterアカウントに対して行っていた請求の一部が認められ勝訴しましたのでここにご報告します。
私も「はるかちゃん」も控訴せず、この判決が確定しました。
認められた損害額は大きいものではありませんが、代理人弁護士によると、今の裁判所の判断としては普通の水準であるということです。裁判所によって違法性が認められたことに安堵し、控訴しないことにしました。
被告「はるかちゃん」とは、2020年に書籍「#KuToo:靴から考える本気のフェミニズム」に自身のツイートを「無断転載」や「改変」したとし、原告として石川と出版社である現代書館を訴えていたアカウントです。詳しくはこちらをご覧ください。
原告「はるかちゃん」から起こされた裁判は「石川はツイートを改変しているから著作権違反だ」というものでしたが、原告の主張は一つも認められず地裁・高裁ともに石川が勝訴、最高裁も棄却されました。
今回判決が出た裁判は、石川が原告となり被告「はるかちゃん」を訴えていたものでした。
はるかちゃんは訴訟を起こす前から、石川の著作権侵害を主張しながら、私を誹謗中傷していました。
今回私が訴えたのはこちらのツイートです。
こちらのツイートの「乞食」というものは名誉毀損に当たるとして、裁判所から認められました。
裁判の中で私は、乞食行為をしていないことを書面で証明し、それが認められたということです。実際に被告はるかちゃんが「乞食だ」と主張していた私の行為は、きちんとお金と引き換えに対価を渡しているものでした。(クラファンのリターンなど)
この「はるかちゃん」というアカウントと石川のやりとりについてざっと説明すると、
石川が「はるかちゃん」のツイートを正しく引用
→はるかちゃん、著作権法に違反しているから出版を中止し金を払えと訴える
→はるかちゃんの主張は全て棄却
→むしろはるかちゃんが誹謗中傷していたことが認められた
こういうことです。
インターネットでは2020年、私が本を出版してからずっと「石川優実は著作権法を侵害している」と、まるで不法行為を犯したかのような印象操作が出回りました。それは今でもたくさんネット上に残っていて、全ての裁判が終わったあとでもそのような発言をした誰からも謝罪がありません。
一人くらい「自分の勘違いでした」という人がいてもいいと思うのですが、そういうものは今日まで一つもありませんでした。
匿名で、時には実名の弁護士までが自分の発言に責任を持たない、まるで自分は何もしていないかのような振る舞いが罷り通っていることに、強く憤りを感じます。
このような「何も問題がないことをまるで重大な問題であるかのように取り上げ、印象操作し、広め、その人物の信用をなくそうとすること」は、私に限らず今でもたくさんの女性がされ続けています。
著作権のこともそうですし、はるかちゃんがツイートした「乞食」という言葉もそうです。
もしかしたら、被告は本当に私のことを「乞食」だと信じていたのかもしれません。ネット上には、私が詐欺行為をしたとか、お金をもらっているとか、クラファンで集めたお金でブランドバッグを買ったとか、事実でないことがまるで事実かのようにたくさん溢れていましたからその可能性もあります。
しかし被告「はるかちゃん」はツイートする前にそこできちんと、石川優実は「乞食」と言われる行為を実際にしたのか、しているならその証拠はどこにあるのか、また、そもそも「乞食」とはどういったことを指すのか、それらを自分で調べてから発信する必要がありました。それが自分の言葉に責任を持つということだと私は思います。
引用
こ‐じき【▽乞食】 の解説
《「こつじき」の音変化》
乞食(こじき) とは? 意味・使い方
- 1 食物や金銭を人から恵んでもらって生活すること。また、その人。ものもらい。おこも。
私は実際に他人からお金を得ることはありますが、その対価としてプロのカメラマンに撮ってもらった作品や自分の文章を提供していました。つまり単に私は仕事をしていたのですが、それを被告「はるかちゃん」は乞食だと言いました。
今回の件で、乞食行為をしていない相手のことを「乞食」ということは、名誉毀損が認められるという可能性が出てきました。判決が、「はるかちゃん」が私の行為を「乞食」と述べたことが、社会的評価を低下させると判断した箇所は以下の通りです。
人にこういった言葉を投げつける時は、それなりの覚悟をして責任を持ってしてください。
感想を言う自由はあるのかもしれないですが、事実と違うことや侮辱発言をするということは、その責任が問われることがあるということです。
なお、「はるかちゃん」が、「乞食」という言葉に違法性はないと弁明した主張を判決が認めなかった部分を以下に貼っておきます。
「ネット乞食」というネット用語があるとか、多数の閲覧があったわけではないとか、そんな言い訳は裁判所では通用しなかったというのはとても大事なことです。
こういう発想で人を「乞食」と言うことなんて裁判所では認められなかった、ということです。青線を引いたところが「はるかちゃん」の主張、赤線を引いたところが判決がそれを認めなかったところです。
インターネット、特にTwitterは、他人の行為や言葉を自分で演出をして、まるで違うもののように扱い広めることが容易です。前後のつながりなど全て無視し拡散することができます。「キリトリ」と言われるものには、実際には「全部読んでも一緒だよ!」というものと、本当に大切な部分がどこかにいってしまい一部が切り取られているものとが存在します。
今皆さんが信じている何らかの事実も、自分の目と耳で実際のやりとりを最初から最後まで確認したら大きく印象が変わるものがあるかもしれません。ある一つの事実に対してどう感じるかは、他の誰でもなく自分が決めてください。
どうか、何かを見る時はそこに誰かのフィルターがかけられていないか、自分は一次情報に当たれているのか、いつでも自分に問い続けてください。Twitterという誰もがみられる場所、半永久的に残る場所に発信をするならなおさらです。
私に対して「著作権法を侵害している」と断定したり、「乞食だ」というツイートがされ、それを見た何も知らない人はどう思うでしょうか。私のことを「著作権を侵害した人」「乞食行為をした人」だとそのまま思い続けている人が世の中にはたくさんいるかもしれません。この判決が出たことを知らなければ、その人の中で私は一生そのままでしょう。そして、「不法行為をする人間/乞食行為をする人間のいうことは聞くに値しない」という判断を、特別表明するわけでもない、特別自分が深く認識するわけでもなく当たり前のようにさらっとし続けるのかもしれません。そういったことは、私だけでなくこれまで「頭がおかしい」「なんか印象が悪い」と言われてきた女性たちがずっとされていることなのかもしれません。
この#KuToo本の裁判は、大きな枠組みで見てください。著作権法の裁判だと思われる方もいるかもしれませんが、こんな形で著作権法が争われること自体を考えてください。多くの人間がTwitterでの言説に乗っかり、顔も見えないアカウントのいうことを信じ、一人の人間が「不法行為を犯している」と言い切り拡散した。しかし裁判の結果は先ほども書いたように、原告の請求は全て棄却、何一つ認められず、何なら石川に対して名誉毀損をしていたことが認められました。
私が著作権法を侵害しているのだろうときちんと調べもせずに信じたり拡散した人たちは、それがなぜだか自分の胸に問いかけてください。そこに性別は関係ないですか?学歴は関係ないですか?私がしている活動(女性差別への抗議の活動)は関係ないですか?私が過去にグラビアの仕事をしていたことは関係ないですか?
一度でも、「もしかしたら自分が間違っていて、石川が正しいということがあるのかもしれない」という問いを自分にした瞬間はありましたか?もししていないなら、なぜ自分が絶対的に正しくて石川が絶対的に間違っていると断定してしまったのか、自分の中にあるものを見つめてください。
ちなみに私は、何度も何度も自分に問いました。そして調べました。著作権法のこともたくさん勉強しました。「自分が間違っているのかもしれない」といつも考えるので、相手のいうことを聞いて調べて、事実を確認していく、ということをたくさんしました。でもこれって当たり前のことじゃないですか?そんな簡単に少しの情報や知識だけで「自分が正しくて相手が間違っている」なんて判断はできないはずで、自分と相手の言い分が違ったときにはそれなりに色々と調べる、ということを皆さんも普段はしているはずです。
それをしなくてもいいと判断するいうことは、相手を見下しているからなのではないですか。その見下しがミソジニー(自分の思うような女ではない女に対する嫌悪)ではないですか。
この話は、司法の場に出なければ証明のできないことでした。たくさんの方々にご協力いただき本当にありがとうございました。
この問題を個人の問題だとせず一緒に戦ってくださった神原元弁護士、太田啓子弁護士には心から感謝をしております。
「はるかちゃん」の請求は全て棄却され、石川の請求は認められました。これが全てだと思います。
私は誰かの気に食わないこと・気に入らないことはしたのでしょうが、法的に何も悪いことをしていません。嘘もついていません。著作権も侵害していないし、引用を正しくしていますし、乞食行為もしていません。それが証明されて本当によかったです。
気に食わなくても気に入られなくても全然問題ありません。私もたくさんのことが気に食わないし気に入りません。お互い様です。皆さんも私も自由に、気に食わないことを気に食わないといい、気に入らないことを気に入らないという権利があります。その意見表明をするときにありもしない不法行為をでっち上げたり、誹謗中傷をしてはいけない、ということです。
長い間裁判のご報告にお付き合いくださり、ありがとうございました。#KuToo本に関しての裁判はこれで全て終了です。この裁判が、今後の女性や声を上げる人間への嫌がらせの解決法の助けになれば幸いです。