榊英雄氏に関する週刊文春の報道を受けて

先日、このようなブログを書きました。


そしてその後、週刊文春で少しだけ取材を受けました。

「性被害」映画監督による性加害を女優が告発 脚本家からも疑問の声
https://bunshun.jp/articles/-/52554

ブログを書いてから今日まで、短い期間でしたがいろんなことを考えたし思うことがありました。記録として、ここに残しておこうと思います。クソ長いし、性暴力のことだけど無駄に悲しそうに書きません。世間にある被害者像に合わせません。ご了承ください。うまくまとまらないんです。12000文字あります。

まず、2月11日にブログを書きました。友人たちと一緒に映画を作っていまして、その中で「映画界や芸能界で自分が受けた性暴力」について、色々と意見とか事実とかを脚本を作って行く中で出し合っていたところでした。
その時に、報道されている榊英雄氏についての話も出ました。脚本を書いてくれている子には、当時もこの榊氏との話をしていました。
「レイパーって噂があるから気をつけて」と言われていたけど、その時私はすでに関係を持ってしまっていました。ただ、私は抵抗していないので仕方ないと思いました。

改めてその子に同じ話をしていて、脚本には性暴力として私の身に起こったことを書いてくれました。それをじっくり、ゆっくり考えて、内閣府のH Pにある”望まない性的な行為は、性的な暴力にあたります。”という言葉を何度も何度も心の中で復唱して、心に落ちるまで考えて、「私があの時したかったのは、性行為ではなくて芝居だったな。」という結論に至りました。

すごく悲しい気持ちになりました。というか、今まで悲しい気持ちにふたをしていたと思います。あの時のことはなるべく考えないように。ずっとそう過ごしてきました。なので、その気持ちを正面から見て受け止めるという行為は、ものすごくしんどいものでした。混乱しました。もう6年くらい経っていて、今まで大丈夫に過ごしてきたことがこんなに自分の心を落ち込ませるのか、と思うと、その事実にもショックだったし、何より私はこの4年間くらい、フェミニズムや性暴力についてこんなに向き合ってきたのに、榊氏のことを考える勇気が出なかったのだ、ということもショックでした。

そして、ブログに書いた、という感じです。そのブログにも書いたように、私の身に起こったことは今の日本では性犯罪には当たりません。「私が嫌だった」という気持ちを表明することしかできず、そんなの後からどれだけでも言えてしまうことですし、当時も明確な拒否行為はしていないので(裸の写真を送れとか、家にいくというラインに対しては何回も拒否したことを覚えていますが、性行為自体は拒否していない)、普通に「ただの男女関係」とされるだろうな。もちろんそう考えました。しかし、私の中にある「性行為したくなかったなぁ」という気持ちはやっぱりそのまま何かに形として残しておこうと思って、それにそのまま事実として知ってもらいたくて、ブログに書きました。フェミニストとして、100年後の資料にちょっとでもなったらな、という気持ちもありました。

2月11日に書いて、記事はあまり読まれませんでした。結構覚悟して書いたのだけどな、とちょっと悲しくなりました。映画業界にこういうことがあった、ということは知ってもらいたいと思ったのですが、なかなか叶わず。
#MeTooって、声あげても聞いてもらえないんだね。と絶望感もありました。そうそう簡単に事実確認ができないものに反応できないのもわかるのですけどね。それでも結構勇気を出して書いた後の孤独感は、辛いものでした。

その10日後くらいに、懐かしい関係者の方から連絡をいただきました。撮影カメラマンの早坂さんです。榊氏の最新映画「蜜月」の撮影カメラマンで、私が出演した榊氏の監督したピンク映画の撮影カメラマンでもありました。記事を読み、今度の榊氏の映画は性被害がテーマだと。石川さんのブログに書いてあることが本当ならば許せない、と。
映画関係者の方からこうやって連絡をいただけたことは本当に嬉しかったというか、安心しました。
そしてその後、同じように被害を受けたという人が出てきて、今回の文春の取材に繋がりました。

最初にブログを書いたときは、「どうにもならないだろうな」という気持ちでした。ただ、いろんな被害者がいること、そしてそれは私のように合意と言えてしまうようなものばかりではないことは、過去にTwitterや週刊誌を見て知っていました。犯罪性が高いものもありましたので。
今回、榊氏の公開予定の映画が性被害をテーマにしていると知って、「そんなことがあっていいのか」と強い憤りを感じました。

2017年に #MeTooという記事を書いて、その後ジェンダーや性暴力・フェミニズムについて学んで、#KuTooという運動をして、いつもやっぱり「自分は性暴力やフェミニズムについて語る権利があるのだろうか」と自分を疑い続けてきました。

本当に多くの人が刑法改正のためにずっと運動をしているし、裁判で闘っているし、報道できるように尽力してくれているし、記事を書くときもかなり細かいガイドラインに沿ってとても神経を使いながら絶対に被害者を傷つけないようにと注意して、そんな中で世の中に伝えようと努力しているし、相次いだ無罪判決に抗議するフラワーデモもある。そういうものを見てきて、少しだけ関わらせてもらったりして、性暴力の問題は外部の人間が気軽に持ち出していい問題ではないと思ったし、もし他人の被害を扱うならば本当に気を付けなければ。自分の被害のことですら、同じような被害に遭った人を傷つけることもあるからそれも気を付けなれば。そんなふうに考えていながら生活していたのに、性暴力の加害者である榊氏が性被害をテーマに映画を撮ってそれが公開されるって、そんなことあるんかい!と思いました。思わず口にしたくらい、本当にびっくりしました。

自分の権力を使って性行為を要求するような人が性暴力について描くなんて、性暴力がどう伝わってしまうかわからない、と怖くもなりました。ただでさえいろんな偏見が多いのに。そしてそれをいろんな人がなくそうと、ひどいバッシングとずっと闘っているのに。

これは公開が止められないにしても、「どうなのですか?」という問題提起をしなければならないなと思い、今日にいたります。

被害者が声をあげるしかないですか?

ただ、やっぱり思うことが沢山あります。まず、今回の映画って、私が自分の経験を話さないと止められないことだったのでしょうか?
なんとなくであっても、榊氏のこういう噂は以前からあったと思います。多くの人が知っていたと思います。疑惑がある時点で、映画製作に入る前にもう少し色々調べるとかできなかったのでしょうか。

私はあんまり、榊氏とのことをいろんな人には話したくなかったです。だって、先ほども書きましたけど私のやつは拒否をしていないんですよ。彼が自分の立場を利用したのはそうですが、私は拒否していません。ずっとそのことで後悔しているのに、そしてそれに対してどういうセカンドレイプが来るかを十分知っているのに、話したくなかったです。ただ今回、自分が映画界の女性差別をテーマにした作品を作りたいと思った時点で、榊氏がまだ作品を作り続けていることに対してそのままでいいのかという気持ちでまずブログを書き、更に性被害をテーマにしている映画が公開されると知ってしまい、結局自分の被害なのか被害じゃないのかわからないような曖昧なやつでも言わないとどうにもならないんじゃないか、と思いました。だってずっと待ってたけど誰も映画業界から告発してくれないし。誰かが最初の一人になるしかないじゃんって。内部から言えないなら、もう映画の世界はいいやと当時離れた今の私が言うしかないのではないか、って。

だから、このことを書いた時に被害当事者じゃない人とかに「石川さんは勇気がある」とか言われたんですけど、やるしかなかったじゃんだって、という気持ちなんです。勇気というかもうかけみたいなものですよ。誰もやらないならやるしかないじゃん、だってやらなかったら性暴力の加害者が性被害をテーマにした監督作品が上映されちゃうよ?と。

でも、本当はやっぱり、私が自分の経験を話す前に、映画界に今もいる人たちで何とかしてほしかったです。
今回記事になるにあたって、やっぱりすごく迷いました。私自身証拠があるわけじゃないし、裁判を起こせるわけではない。記事になったら、必要以上の社会的制裁や榊氏の家族や、全く関係のない映画出演者の方などにも被害がいくかもしれないわけです。それが胸を張ってよいこととは、当然言えない。でも、これ以上被害者を増やさないため、彼にこれが加害だと突きつけるためには、やっぱり今ここまで来てしまったらこういう形しかなかったと思います。

記事にならんとどうにもならんのか

そして、記事になると今回なって。記事にならんとどうにもならんのか、という絶望感的なものもありました。
邦画の世界でのこういう問題って、別に今回初めて声があがったわけじゃないです。

前回のブログでも書いたけど、「童貞。をプロデュース」で加賀賢三さんが受けた性被害、
『童貞。をプロデュース』強要問題の“黙殺された12年”を振り返る 加賀賢三氏インタビュー<2019年12月12日追記あり>

水井真希さんがずっと訴えている性被害とか、

あるわけです。でも、なかなか大きく取り上げられないし、邦画界の人たちが結構黙っちゃうのを見てきました。えー、言及しないの?って思うことが多かった。

今回榊氏のことが記事になったのって、
・被害者が多そうだということ
・内容が犯罪性が高いこと
・彼自身がある程度顔と名前が知られていること
・性被害をテーマにした映画が公開されること
というのが大きな要因だったと思います。逆にここまでそろわないと、全然相手にしてもらえなかったかもしれない。でも、相手にしてもらえなかったら何もできずに黙っているしかできなかった。泣き寝入りするしかなかったんだろうと思います。

そこで今回思ったのですが、私#KuTooの署名運動をしているときに、パワハラ防止法の審議会に足を運んでいたんですよ。パンプスのことも入れてほしくて。その時に、ずっとフリーランスや就活生はこの法律の対象になるのか、という審議がされていて、結局叶わなかったんです。

今回起こっていることって、多分一般企業で雇用されている人の話だったら普通にやべーと思うんですよ。上司が仕事と引き換えに性行為を要求したら、上司が怒られるんじゃないですか?出勤して仕事が与えられないまま「セックスしよう」とか言ってくる上司いたらやばいよね?でもそれに近いことが、映画界では起こっているのだと思います。フリーランスって本当に守られない。ここ何とかしなければいけないところだと私は思いました。

でも、映画界がみんなこんなだと思わないでほしい

ただ一方で、映画界にいる人たちはまともなんだ、と知ることができてよかったとも思います。

私は、榊氏の現場に参加したとき、榊氏や撮影カメラマンの早坂さんに方に芝居を褒められたんです。私は自分の芝居にすごく自信がなくて、いつも迷っていました。ただこの時の役は、自分でも楽しかったし、そのうえで過剰ではない褒められ方をして、芝居を褒められたということは次の作品にも呼んでもらえる可能性は0ではないな、と思いました。だから、LINEや行為そのものを断れなかった部分がありました。

でも結果、次の作品には私は呼ばれなくて、「あの時褒めてくれたカメラマンさんも、榊氏が私と性行為をしやすくなるから合わせて褒めてくれていただけなのかな」と思っていました。それを信じた自分のことも、ずっと恥じていました。そんなこと本気にして本当にバカみたいだなと。そのことを思い出すたびに、自分が芝居を頑張ろうとするなんてもう恥ずかしすぎることだ、と思うようになりましたし、カメラマンさんもグルなんだろうな、周りのスタッフさんもみんなそうだったんだろうな、と思い込んでいました。

ただ、今回この件をきっかけに再びそのカメラマンさんである早坂さんたちと会って、そうではなかったんだということを知れました。それに、みなさんが人権やハラスメント、性暴力の問題にかなりしっかりとした意見を持っていることも知ることができました。(当時は現場で一緒になっていただけなので、そんな話していなかったし何より自分が無知だったし。)

榊氏のやっていることを見ると本当にひどいのですが、そうではない人はもちろん当然たくさんいて、そういう人の方が圧倒的に多いのだろうと思います。
今一緒にそのフェミニズム映画を作ろう、と言っている吉田浩太監督だって。私なんかより全然フェミニズムについても人権についてもしっかりしています。
それが榊氏のような一部の卑劣な人間によって、映画監督全体の印象が悪いものになってしまっているような気がします。とても残念なことです。

榊氏に思うこと

榊氏は私との行為について、「相手の女性から近づいてきて関係を持ちました」とコメントしました。
私から近づいたというのは、最初は「捨てがたき人々」という榊氏監督の映画の舞台あいさつに行ったこと、その後、ロフトで行われたピンク映画についてのトークイベントに行ったこと。捨てがたき人々の舞台挨拶の時は私は榊氏の存在を知らず、確か舞台あいさつに行ってそれをツイートしたところエゴサで榊氏が見つけてくださり、そこから相互フォローになったのだと思います。
そして私はピンク映画に興味があったのでロフトのトークイベントにも行きました。ちょうど私は自分の主演映画が公開された直後くらいだったので、オーディションなくキャスティングが決まり事務所の社長と榊氏の事務所に行き、台本をもらって、という流れでした。(その時点で性的な行為の要求はありません。すべて決まってからです。)

こうやって関わることになった女優は、「むこうから近づいてきた」ということで性行為をしても問題ないと榊氏は判断されているのでしょうか。
ロフトのイベントに行って私と同じピンク映画にキャスティングされた男性俳優もいるんですけどね。そうやって俳優って監督がどんな考えをしている人なのかとか調べたりして、作品に出たいとアピールしたり出ますか?と言われたり、そういうのって当たり前にある仕事の交渉だと思うのですけど、榊氏はそれが「性行為をするために近づいてきた」と思っているのかな。

でも、本当に私とのことを「男女の関係」「ただの不倫関係」だとするならば、赤坂の事務所に呼び出すときに「次の作品の脚本ができたから来い」なんていう必要なかったのではないですか?純粋に会いたいからとかセックスしたいからとかだけだったら、そういえばいいのに。やれないと思っていたから都度私に次回作に石川を出すかどうしよう、という話をしていたのではないのですか?

そして、純粋にセックスがしたいのならば、榊氏はかなり慎重にならなければいけない立場の人間のはずです。お互いが性行為がしたいのかどうか、榊氏がきちんと同意を取り、私が断ってもこれからの仕事には一切影響しない、ということを明確に表明したうえでの要求でなければならなかったはずです。それが、様々な決定権を持った側にある義務だと私は思います。

そして普通に、もし対等で同意をとった関係性であっても、居酒屋を出て歩いていていきなり全然知らない人の家のガレージに連れ込んで他人の車の陰で性行為しようとしないですよ。あんなところ、騒いだら家の人が出てきたらどうしようだし暗くてよくわからないし榊さんでかいしでこわいです。それを突然実行しようとするなんてやっぱりおかしいよ。こういうこと、気軽に言うべきではないと思いますが、私は榊氏は病気だと思います。依存症的なものではないですか?今回の報道をきっかけに、一度病院に行ってほしいです。

私は別に、榊さんが嫌いではありませんでした。性行為を求めてくること以外はとてもいい先輩だったと思います。だからずっと言えなかったし、それ故に私も尊敬しているという態度を相手にしていたし、相手が「合意のうえだった」と勘違いしても仕方がない部分もあったと思います。それは今でもずっと自分のことを責めています。責めたくない!キャスティング権を使って性行為を要求してくるなんてあっちが最低だ!でもだめです、責めてしまう。これはずっと私の中でそうなのでしょう。そう簡単に変わらない。

でも、明確に言えるのはやっぱり、榊さんと性行為がしたかったかしたくなかったか、と言われたらできればしたくなかった。それに、この「できればしたくないけど、しょうがないからするか」というのは、思った以上に、そして自分でもわからないようにすこしずーつ、でも確実に、その人の心の大切なところを削いでいってしまうことを、多くの人に知ってもらいたいと思いました。

文春の記事についてー枕営業という言葉ー

まず、枕営業について。実際には監督やプロデューサーなど、様々な決定権を持っている人間が性的な行為を要求するような件が大変多く、「枕営業」という言葉は現実に行われるその行為とは到底かけ離れている言葉です。また、営業とは、それらを望む人がいるからこそ行われる行為です。

キャスティング権を持った人間が求めるものに、俳優・スタッフ側は合わせざるを得ない状況は当然出来上がっていきます。力の強い側が「演技や技術に関係の無い、性的な行為でキャスティングを判断しません」ときちんと決めれば、営業は自然となくなるはずです。なくすことができるのは権力を持っている側です。

それらを踏まえたうえで。
今回の文春の記事の最後に、

映画やTV業界では今も「枕営業」などという噂が絶えることはないという。これまで誰にも打ち明けられなかった過去を告白した4人の女優たちは、これが誰かを救うきっかけになれば、と異口同音に語っている。

https://bunshun.jp/denshiban/articles/b2594

という文章で締められています。ここで「枕営業」という言葉を使うことに対して抗議が少し見られます。「これらは枕営業なんかじゃないだろう」という抗議です。でも、この文章は「これらが枕営業だ」と言っているわけではないんです。

私は、2017年に#MeTooしていますが、やっぱり枕営業と言われ続けています。伊藤詩織さんも、「枕営業大失敗」なんていう絵を描かれ、裁判をしていますよね。性暴力に地位関係性が絡んでくると、ほぼ100%と言っていいほど「枕営業」って言われるんですよ。営業なんてしてないのに。普通相手から来たものをこっちから営業したなんて言わないよ。でも、主に女側が営業をしかけて、それを断れなかったということにされますよね。そんなの力関係を考えたらどっちが強要できるかなんて一目瞭然なのに。

そういう、本当にひどいセカンドレイプをずっと受け続けていたことが背景にある、ということを大前提として、「でも実際はこういう性被害が”枕営業”って呼ばれてきたんですよ」という、セカンドレイプを事前に防ぐためにある文章だと私は思いました。カギカッコつきの「枕営業」だし、「などという」って言ってるし。私はいち被害当事者として、この表現を支持します。なんにも書かないとなんでもかんでも枕営業だって言われるんだよ。そういう現実を踏まえれば、こうやって書いてくれることはむしろ「枕営業だろw」と言いづらくなる一文だと私は考えます。

セカンドレイプ・二次加害について

今回、私もアンケートをしていて、やっぱり被害を実名で言いたい人なんてあんまいないですよ。0でしたよ。みんな絶対に自分だってばれないようにしてくださいと言います。そんな現実を差し置いて「売名だ」とかいうの、もうやめてほしいです。

また、「芝居が下手だからそうやって仕事とったんだろ」とか、「芝居ができればそんなことしなくていいんだから自己責任」というのも見られますが、だから仕事を与える側が仕事がないであろう側に対して性行為を要求することが「立場が弱い人」に対する性行為の要求ってことでしょ?仕事があまりないって普通に弱い立場ですし、仕事は生きている以上しなければいけないのですよ。そう考えたときに、仕事を欲しいと思うことってなにも悪いことじゃないはず。仕事ほしくて当たり前だろ!芝居してーんだよこっちは!死ぬほど芝居がしたいんだよ。そう叫びたい。したいのは芝居だ!性行為じゃない!

悪いのはその気持ちを利用して性行為を要求する方です。こういうこと言う人は、もしかして自分が何かしらの権力を持っていたら、それを使って性行為を要求してもいいと思ってるってことなのかな?めちゃくちゃ危うい思想なので今すぐやめてください。

「こういう女が断らないから他の役者も迷惑する」みたいなのもね・・・それ、要求する側には言わないんですか?結局立場が弱い側にしか言えないってことですか?始まりは要求する側なのにね。

最後に

長くなりましたが、映画界の人になんとかしてほしかった、といいつつも、そこにいると声をあげられないのも十分わかります。そこが人生のすべてだと思うし、仕事を頑張っている人ほど実際に人生のすべてがそこにあるんですよね。私だって、だから当時は榊氏の要求を断れなかったわけで。今はそこから抜け出したから好き放題言えるだけで、もし今も同じように生活していたら、社会的な問題について発言することすら怖いままだと思います。

だから責められないから、私はそんな社会はやっぱり変えていきたいと思う。芸能人だって、自由に政治や社会的な問題について、誰でも自分の意見を表明できる社会になったら嬉しい。

映画界の人たちも、私がそこから抜けてフェミニズムに触れてこんなに自由に言いたいこと言えるんだ!と思って、実際自由に発言しても別に生きていられるように、ぜひ挑戦してほしい。きっと、自分の言いたいことをもっと言っても映画を作って行けると思う。というか、そういうふうにみんなでしていきたいと思う。

今回、私があんまり目的なく書いたブログに反応してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
私が私だけの経験を書いただけだったら、何も変わらなかったです。呼応してくれた人たちがいたからアクションになりました。私一人じゃやっぱり何もどうにもならない。これまでなかなか繋がれなかった映画業界の人たちと、こういうフェミニズム的な文脈で一緒にアクションしていけたのはすごく嬉しかったです。なんとなく別の世界として考えていたけれど、いやいやみんな同じ世界に生きてるんだもんね。と思ったわけです。

最後まで読んでくださってありがとうございました。新しく出た榊氏のコメントは許せません。なんとか不倫で済まそうとしていませんかね。自分が権力を持ったうえでの行為だったということについて全く触れられていないし、そういう人がそんな理解で性被害をテーマに映画を作るっていうのやっぱりダメだと思うので、改めて抗議していきたいと思います。

あ、こういう軽い感じで文章にしていますが、榊さんのことを語るのはなかなか大変です。話している最中に涙出てきたりするんです。なので、気軽に語らせようとしないでほしいです。元気のある日とない日の差が激しいです。やっぱり性暴力って、時間が経ってこういうことになるんだ、と思い知りました。なので、被害を受けた人にあんまり無理させないでくださいね。被害者に無理に語らせる前に、ぜひ色々専門家の方に学んでください。

あと、この報道が出てもなお黙ってる邦画関係者はそれでいいのですか?という問いかけで終わります。

2022.3.10 追記

連絡をくださった撮影カメラマンの早坂伸さんのブログ。

性被害を描いた映画「蜜月」脚本港岳彦さんのツイート。

榊英雄氏に関する週刊文春の報道を受けて” に対して10件のコメントがあります。

  1. しおしお より:

    陰ながら応援しています
    頑張ってください

  2. まりか より:

    あなたのお陰で、救われる人がきっと沢山いると思います。勇気を出して声を上げてくれて本当にありがとう。
    辛い思いを沢山した分、幸せになってくださいね。

  3. Z より:

    勇気を出さざるを得ない状況にさせてしまって、本当にごめんなさい。
    石川さんがちゃんと守られますように。

  4. たかい より:

    私は石川さんの#kutooでフェミニズムを知って人生が変わった1人です。石川さんの文章にはいつも心をつかまれます。今回の文章も私の身になります。記事執筆ありがとうございました。

  5. あみみ より:

    お疲れ様です。
    いい方向に進むことを祈ってます。

  6. TH より:

    今回の事について、行動を起こされたことについて、賛同と称賛をさせて頂きたいと思い、コメントさせて頂きます。石川さんは今回の件で理解されない声も届くだろうし、批判もされることもわかっていながら、それでも身を削って実名で発信をされました。そしてやはり批判をする声が届いているものを見て、賛同し、理解し、その悲しみに(勝手ながら)寄り添いたいと感じた者がいるということも、少しなりとも届くべきではないかと感じ、まとまらないですが長々と感じたことを勝手に書かせて頂きたいと思います。
    性行為を通して自分も便益を得ているではないか、という声が実際に挙がって、行動や心情が理解できないという声もありますね。
    例えばサラリーマンの上司部下の関係で、部下が望まない飲み会へ上司が連れて行ったとする。部下は、上司に気に入られたい、嫌われたくないという自分の「便益」のために感情に反して飲み会を望んでいるフリをする、楽しんでいるフリをする、尊敬しているフリをするなんてことはいくらでもあることです。
    今回の件は、この構図の力を持つもの側の行動が、性欲の発散というあまりに自己中心的な欲望に基づき行われ、それにより弱者側が性という自分のアイデンティティに深くかかわる部分で「望んでいるフリ」をせざるを得ず、深く傷つくことになったことが問題であると思います。
    人は、自分の取る行動によって受けるだろうダメージを勘案して、常に合理的に行動することなどできません。
    これだけ強く戦い続けている人でも、無意識に目をそらしていて、6年経ってようやく自分の受けた心の傷を認識した。それによって感じた悲しさは、誰に否定されるものではなく、むしろ誰かに寄り添われ、共感され、癒されるべきものであると思います。
    それについて行動を起こされ、他でも苦しみ、情報では犯罪性が高い被害を受けた人が声を上げるきっかけとなった。この意義は深いと思います。
    ちなみに私は、Kutuuの活動に賛同しているわけではありませんし、ネットで目にする様々なフェミニズムの活動・意見に積極的に距離を縮めようとは思いません。
    石川さんのSNSなどを見ると、常に妥協なく戦い続けているように見え、息が苦しくなります。今回の件は、その怒りの源泉の一部分を見た気がしました。

    何の役に立つものではないかと思いますし、的外れで逆にイラつかせてしまうかもしれません。それであれば大変申し訳なく思います。
    少しなりとも、他の被害者含め悲しみが癒され、救済され、心安らかとなることを祈っています。

  7. チョココロネ より:

    映画をつくっておられるのですね。石川さんのような方に表現の場に戻ってきて欲しかった。読みやすい文章、率直な言葉、とてもすんなり読めました。応援しております。

  8. 名無し より:

    週刊文春立ち読みして思ってた以上に酷い案件だったのでビックリしました。
    今後良い方向に進むことを願ってやみません。

  9. 水晶たまこ より:

    こういう男性を知ってるのですが、、多分、性癖で、やめられない、病気なんだと、思います。
    家庭では、多分、良い夫、よい、父親なんでしょう、なにか?満たされない部分の興奮をこのような性癖で、女性を被害者にしてしまってるのではないかとおもいます。
    とても、深い傷をおってしまったことを同じ女性として、許せないです。
    本当に、これからは、我慢することなく、言いたいことは、いって、幸せになってほしいと、
    心から、願います。
    この、犯罪者には、病気なので、病院にいくなり、逮捕されてほしいと、願うばかりです。

  10. 当事者 より:

    加害者は必ず成功体験がある。だから繰り返す事に罪悪感はない。それは支配出来る権力者の暴力です。
    被害者は酷く苦しみます。でもね、その加害者との強引な性行為は、命を脅かす程の恐怖であり、自分の身体が壊れてしまう、殺されてしまうかの防御なんだよ。同意では決してない。断言出来ます。それは、防御。命を奪われるかの危機に、冷静になんてなれるはずがない。パニックになり、思考までも失い、必死で防御したんだよ。自分自身命を守る為に。
    被害者は、痛みや苦しみにかなりの年月を掛けなければ、言語化出来ない。簡単に言語化出来ない。なぜなら、このおぞましい構造は相手である加害者にしか知り得ない。被害者は、ひたすら己の理性を駆使して知ろうとする。辛いんだよ。
    レイプは殺人と一緒だ。殺されたのに、何故か生きているのと同じ。
    嫌よ嫌よも好きのうちじゃねーんだ。

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