榊英雄氏とのやりとりの整理と、映画「ハザードランプ」公開を受けて

榊英雄氏の件で、「お前のだけは被害じゃない」「ほかの被害者に失礼だ」「ただの不倫だ」「不倫のくせに被害者ぶるな」という言葉がたくさん投げつけられています。

それは私がこの6年間ほどずっと自分に言い聞かせてきた言葉で、言われなくてもわかっています。だから私は今日までずっと黙ってきたのです。それでも誰かが語り始めないと、声をあげる人が出てこないだろうと思って自分の身に起こったことを書きました。私よりもっとひどい目にあった被害者たちが声をあげるには、「これを被害というのなら私のは・・・」と思ってもらわないと難しいと思ったので。

榊氏とのやりとり・「彼女の方から近づいてきた」とは

榊氏から文春へのコメントで、私に対しては「彼女の方から近づいてきて関係を持ちました」と反論がありました。先週の文春で私はそれに対して反論していますが、ここで改めて整理のためにも榊氏とのことを時系列でまとめて記しておこうと思います。

私が榊氏を知った日です。

このツイートをしたのち、榊氏がエゴサでツイートを見つけ、榊氏のTwitterアカウントを知ったのだと思います。ここから彼とは相互フォローになっています。(細かくどちらが先にフォローしたかどうかまではわかりません)

その後私がTwitterでこういうことを呟いて

そしたら榊氏からリプライが来たんですよね。(私ももう彼をブロックしていますし、むこうも鍵アカウントなので何を言われたかはわかりません)

それに対して返信をした私。

この直後に、榊氏から初めてのDMが来ています。

で、ここで榊氏のピンク映画についてツイートしています。

この時も、リプライも来ていますがDMが来て、

このあとLINEに移行してしまって、もう当時のアカウントは残っていません。ですが、これを「彼女の方から近づいてきた」と表現するのはおかしいのではないかと私は思いました。こちらからすれば有名な俳優・監督なわけで、そんな気軽に近づくとかしないよ・・・という感じです。

ここから榊氏と具体的に会うまでの経緯ですが、まず「新作出てください」と言っていただけたので、オーディションなどあれば教えてくださいとここで言っています。
ですが、多分私がこの頃ちょうど自分の主演映画が公開されてそんなに時間が経っていなかったこともあり、特にオーディションなどなく出演が決まりました。この時点では特に榊氏と個人的に会ったことはありません。一度ピンク映画についてのトークイベントをしていて、そこに私は行っています。どういう熱量でピンク映画を作っているのかなど知っておきたかったので。

出演が決まったのはこのあとか前か、わからないですが、台本を渡すということと顔合わせということで、当時のマネージャーと一緒に榊氏のマンション兼事務所に行っています。(このとき、脚本の三輪さんもいました。)私はこのとき特に脱いだりしていません。多分資料として映画や写真集があったので必要なかったのかな~とは思います。

そして、撮影の前に準備期間のようなものがありました。みんなで集まって衣装を見せたり、リハーサルのようなことをした記憶があります。そのあと飲みに行ったりもした記憶が。何日間かあったのだと思います。

その時、衣装を見せる際に榊氏と二人になることがあったのですが、その時にお尻を叩かれたことは覚えています。(叩かれたというか、冗談っぽくぺしっという感じで)
今ならその時点でアウトだと分かるのですが、当時の私はそういうセクハラなどはあって当然で、我慢するしかないと思っていたのでなるべく嫌な顔などもしないように頑張っていました。そういうふうに教えられましたし。(いまでもいますよね。セクハラはうまく受け流すもんだ、みたいに言う人。)

で、同日かはわからないですが、その日の集まりが終わったあとに榊氏から、前回社長と行った事務所兼マンションに来いと言われました。多分性的なことを求められているのだろうなと思って、その日は断りました。ちょうど一緒にいた俳優や別のスタッフの人たちが映画に誘ってくれて、断る理由ができていたので助かりました。榊氏はそっちを断ってこっちにこいと結構しつこく言ってきましたが。
その映画を観に行ったとき、ご飯を食べながら若いスタッフの男の子とお話をしていて、マンションに呼ばれていることを話しました。その子は「榊さんのそういうの本当に許せないと思っている」とすごく怒っていてくれて、とても印象的でした。でも、その子は立場的に何も言えないのだろうし、私も仕方ないよね、そういうものだから、という感じで話が終わったと記憶しています。

で、この日は断れてよかったのですが次の日も同じように午後からの撮影準備の日で、午前中に榊氏と会うように時間と場所を指定されました。結局一日は断れても行けるまでこうやって来いと言われるのだろうなと思って、早めにことを済ませた方が楽かと思い言われるまま着いていきました。
終わった後は、これで無事トラブルなく撮影を迎えられるな、と安心していました。

そして実際に撮影は終わりました。

で、この映画の撮影が終わってからも榊氏との関わりは少し続きました。
一回は、榊氏とやりとりをしていて、一緒に映画を作ろうという話で盛り上がったことがあります。私は榊氏の映画を作る熱量みたいなものを尊敬していた部分があり、一緒に映画を作れるのならいいなと思いました。実際その企画会じゃないですが、一緒に映画を作れそうなメンバーを集めて(あとプロデューサーのような人も一緒に)ご飯会もしました。このご飯会に行く前、事務所兼マンションに呼び出されました。新作の脚本ができたと言われて。次のピンク映画の脚本でした。(コクウという作品)
仕事の話と思っていきました。でも結局、そこでも性行為をすることになりました。このあとご飯も行くし、映画を作ろうという話が出ている中で断れなかったです。

そしてご飯会に行きました。 みんなで映画の話を熱く語って楽しかった。映画が実現すればいいなと思いました。榊氏との性的な行為を我慢さえすれば、という気持ちでした。
今考えると恐ろしいのですが、そのご飯会の最後どういう感じでまとまったかというと、「テルマアンドルイーズとかマッドマックスみたいな強い女の映画が作れたらいいよね!」と榊氏が言ったんです。私も大好きな映画なのでその時は「そういう映画が作れたら最高だな」と思ったんですが、それを榊氏が言っていたやばさに当時は全然気がつけませんでした。フェミニズムとか性暴力とか性差別とか、そんな言葉聞いたことも使ったこともない時代でした。(榊氏がテルマアンドルイーズの中に出てきたらそっこー銃で撃たれて殺されるのに)

夜道で突然人の家の駐車場に連れ込んで行為をすることは「同意を取った」と言えるのか、数回関係を持った後なら許されるのか?

で、三回目です。最後に榊氏と私が会った日の話です。その時も映画の話をしようということで待ち合わせをしたと思います。渋谷で待ち合わせて、まず立ち飲み屋に入りました。そこで終わりでよいはずだったのですが、そこで時間を潰して別の榊氏のよくいく居酒屋に移動しました。被害者の人が揃って言っている居酒屋と一緒なのではないかと思います。渋谷の道玄坂、ちょっと神泉駅よりだったのではと思います。

居酒屋でも本当に楽しく仕事の話をしました。私の場合はですけど、こういう場所で性的な嫌なことを言われることはありませんでした。榊氏との関わりでは、性的な行為の要求さえなければとても尊敬できる気さくなにーちゃん、という感じなんです。だからこそどうやって断ればいいのか本当に悩みました。この時はここまで暴力的な行為に及んでいることは知りませんでしたし。

で、この後なんですが、居酒屋出てから駅に向かうという感じで、その途中暗い住宅街のある一軒家のしっかり屋根があるようなガレージに連れ込まれて口でさせられました。車が止まっていたのですがその陰で。色んなことにびっくりして、とにかく家の人が出てきたらやばいと思ってその恐怖もありなんにもできませんでした。下手に声をあげないように気を付けました。

終わってからどうやって帰ったのか、皆さんと同じようにくしゃくしゃの千円札を三枚ほど渡されてタクシーに乗ったのは覚えています。

一回目と二回目はやっぱり自分も受け入れていたので仕方ないと思っていたのですが、この駐車場に連れ込まれてという行為はさすがにおかしいというか、こわくなってしまって、そこから榊氏と距離をとるようになりました。ただ、私の場合は一回目二回目の一見普通な性行為があったので、この駐車場での行為も仕方ないと思ってしまったというか、冷静に考えることができませんでした。

でも、性暴力は夫婦間や恋人同士でも行われます。まして私は榊氏とお付き合いをしていたわけでもなく、こういった駐車場に連れ込んでの行為を同意をとるなんてできないと思うんです。今になってやっとそれに気が付けたというか・・・何回か普通に性行為をしたということは、相手を無理やり駐車場につれこんでいい理由にはならないとやっと気が付けました。なんかこわかったというか、何が起こっているのかわからないという感じでした。まさか全然知らない人の家の駐車場でそんなことする人がこの世に存在するなんて思っていなかったので。

その後、彼は新しいドラマの撮影に入っていき、その撮影所が私が当時住んでいた家のそばだったこともありしつこく「家に行きたい」とLINEが来ました。はじめのうちは、映画を作ろうという話が盛り上がっていたこともあって完全に無視はできませんでした。ただ家には本当にきてほしくなかったので、いれていません。寝たふりをしたり、家にいないふりをし続けました。すると裸の写真か動画を送れと言ってきて、それも最初は断るんだけど、榊氏は本当にしつこくて送るまでずっと言い続けてくるので仕方なく一回送ったことがありました。

そういうことに疲れ果てて、もう返事を返さなくなりましたし、映画の現場にも自分から行こうとすることはなくなりました。徐々に芝居の仕事は減らしていって、なるべく女性とだけ仕事ができるような方向の発信に変わっていきました。そこから今のフェミニストとしての活動に繋がっていきます。

私は、これらの行為を「彼女の方から近づいてきた」とすることにとても怒りを感じています。

エントラップメント型の性暴力

今回私が榊氏のことを告白した時に、多くの方が「エントラップメント型の性暴力」というものを教えてくださいました。

「エントラップメント型」は加害者が自分の価値を権威づけると同時に、被害者をおとしめ、逃げ道をふさいだ上で、性交を強要するものをいう。

「同意のない性交」を検討する際には、性交に至るまでの関係性や、拒否を伝えられる関係であったか、という視点を取り入れることが考えられると話した。

また、当事者が性暴力被害にあったと認識するまでには時間がかかることもあった。被害当時は子どもで起きた出来事の意味がよくわからなかったり、自分の中にある性被害のイメージと違ったりするからだ。

調査では、被害を認識するまでに10年以上かかったと答えた人もおり「被害を認識するまでに公訴時効が成立してしまう。中・長期を見据えた支援政策が不可欠」と話した。

https://www.bengo4.com/c_1009/n_9677/

加害者は、周囲から信頼や尊敬を受けており、被害者も同じように考えていることがある。そうした関係性に乗じて、セクハラやモラハラなど「予兆的行動」が行われ、その後、性被害が発生しても、明確な拒否ができなかったり、受け流そうとする傾向にあった。

一方で、加害者は「こんなことをしたのは、あなたのことを好きだったんだ」「恋をしていたんだ」などと自分の性加害を正当化するプロセスが見られた。

こうした経緯から「地位や関係性を利用した性被害を正しく捉えるには、性加害の瞬間だけでなく、これまでの関係性を把握、評価しなければならない。被害者が加害者に屈するのは、暴行や脅迫だけによるのではない」と指摘。

加害者と被害者の上下関係や職場などの人間関係を考慮するために抵抗が抑圧される「社会的抗拒不能」という心理状態があるとした。

加害者は被害者が信頼、尊敬していた相手であることが多く、「心理的なダメージが深刻。被害者が抵抗できない『心理的抗拒不能』を評価する際には、この点を重く認識する必要がある」と話した。

https://www.bengo4.com/c_1009/n_9677/

ここに書いてあることその通りで暴行や脅迫がなくても、性暴力はあり得るんだということを知ってもらいたいです。

また、私が断れなかったことは確かですが「私が榊氏と性行為を行いたくなかった」ということは私以外の人が知っていることでも決められることでもありません。
「役を降ろされたくなくて断らなかったんだろう」という人が本当に多いですが、そうですよ。仰る通りです。そう言っているその人も、私が求めていたのは「役を降ろされないこと」であって「性行為ではない」ということをわかっていますよね。みんな、私が性行為をしたかったわけではないことは十分わかっているのだと思います。

そして、何度も言いますが「望まない性的な行為は、性的な暴力にあたります」、これは私が勝手に決めたことではありません。内閣府の男女共同参画局のHPに書かれていることです。
内閣府男女共同参画局 性犯罪・性暴力とは

映画「ハザードランプ」の公開の声明を受けて

毎回長くなって申し訳ないですが、ハザードランプの公開を受けて。

数日前、榊氏が監督をした映画「ハザードランプ」が公式に声明を出しました。

私は、公開についてやめてほしいとは思っていません。ただ、「心を痛められている全ての皆様」って一体誰のことなのかわからない。
また、「事実であれば決して許されない事であり」ということのあとに公開を決めたということは、事実ではないと判断されたのでしょうか?

これはハザードランプの製作委員会にだけ言いたいわけではないですけれども、今回の榊氏の件、誰かきちんと事実関係を調査してくれる人はいないのでしょうか?

これらの出来事の多くは労働の場で起こったことなわけで、それってやっぱりその職場の人たちがなんとか調査しなければいけないのではないですか。

よく刑事告訴すればいいとか、訴えればいいという意見を見ますが、でしたら協力してくれる弁護士さんを揃えるとか、被害者の人が安心して告訴に踏み込める状況を作るとか、訴えるための資金集めとか、相談窓口とか、何かしら誰かどこかしてはくれないのでしょうか?刑事告訴や裁判にならないと何も動けないというならば、そこまでのサポートとかしてくれよと思います。

そもそも性被害の刑事告訴がくそハードルが高いことを皆さんご存じなのでしょうか。被害に遭ったその足で病院や警察に行っていたり、証拠があってなんとかなることがあるのであって、被害者の多くの人がすでに4・5・6年時間が経っているのです。なぜその場ですぐに警察に行かなかったのかって?それができないような心境・環境だからです。被害だと気が付くことすら時間が経ってからのことが多いのですし、多くの被害者は俳優で、立場の弱い人たちです。(榊氏もそこを狙っているわけですよね)性被害にあったことが他人にばれることがもしかしたら今後の仕事に影響を及ぼすかもしれないのに、被害を受けた人に被害以上に負担を強いるような発言がなぜできるのか疑問です。

それに、ハザードランプの現場でも同じようなことが起こっていないとは言えないはずです。これまでの被害の多くは映画製作の現場で行われてきたんです。
きちんと第三者委員会的なものを立ち上げて調査するべきではないのでしょうか?

このままきちんとした事実関係が整理されないまま映画の公開がされてしまうというのは、私はとても恐ろしいです。彼のしたであろうことが「どっちなのかよくわからない」という印象のまま、曖昧なままこの件を終わらせてしまってよいのでしょうか。

多くの団体や人々がステートメントを出してくださっているのは、とても心強いことですしありがたいことです。これからの業界が変わっていくことに希望を持てます。私もまた、お芝居に挑戦したいと思えました。

ただ、今自分も含む、私のところにメッセージを送ってくれたたくさんの被害者の人たちはどうすればよいのでしょうか?このまま何のケアもされないまま、必死に同じような被害者をもう出さないために文章にしたり取材を受けたりということを時間と心を消耗しながら尽くしてくれた人たちは、これで用無しですか?この人たちの告発がなければ何も始まらなかったのに、告発があるまで具体的に動いてくれなかったのに、だから告発するしかなかったのに、なんだかあまりにも無責任だし他人事のように扱われている気がして。

個人的に私は、榊氏に謝罪は求めていません。(私は、なのでほかの被害者の方は求めている人が多いと思います。)
謝罪に意味のある社会だとは思えないからです。
謝罪よりも先にまず事実関係を整理して、彼の口から一つ一つきちんと説明し、自分の地位をどう認識しているのかという確認、ハラスメントが起こる構造についての認識、その上で自分がしたことをどう思っているのか、それらをきちんと明らかにする責任があるのではないかと思いますし、そうでないと榊氏も自分が何をしてしまったのかわからないままこの先の人生を生きていくことになってしまうのではないかと思います。

謝罪したから許せよ、なんてことになったらたまりません。

もし事実関係に異論があるのなら、それもきちんと丁寧に説明するべきだと思います。「事実と事実でないことがある」と言っただけでは、何が事実で何が事実でないのか分かりませんし何も判断できません。どうか映画業界は、この映画業界の中で起こったハラスメント・性暴力のことだという認識を強く持ってもらい、責任を持って調査をしてもらいたいです。

理想の被害者像を押し付けないで

最後に、私は皆さんの理想通りに動く声をあげた被害者ではありません。榊氏の話題がある中であっても、当然別の話をすることはあるし楽しい話をすることもある。Twitter上にあふれる二次加害に直接抗議することだってあります。自分の尊厳を傷つけ続けられているのだから当然です。

それを見て「そういう振る舞いをしていると被害を知る前に距離を置こうとしてしまう人が出てくるからやめろ」とか、「もっと多くの人に知られなければいけないから発言には気を付けて」みたいにこちらの言動を制限するようなことはやめていただきたいです。

というかだったらそういうこと言う皆さんでやってくださいよ。声をあげさせておいて、そのうえ私の自由まで奪おうとしないでください。

私は被害に遭う前も遭ったあとも、告発する前も後も、石川優実という一人の人間です。誰かの何かを背負って生きているわけでも、皆さんの代弁をすることを仕事としているわけでもなんでもありません。

こうやって一部分の人に押しつけていけにえのように扱うの、いい加減やめてほしいです。

皆さんが自分の行動を自由に決め、生きていられるのと同じように、私だってその権利があります。それは被害を受けたって受けていなくたっておなじはずです。

私の言動が気に入らないから、極端なことを言っているように思えるから被害について話を聞かない、とかいう人は、「自分は人の話をフラットに聞く能力を持ち合わせていません」と言っているようなものだと思います。

被害者に自分の理想の話し方、語り方、行動を押し付けるのはやめてください。被害者がどういう人であろうと、どんな振る舞いをしていようと、それを他人が勝手にジャッジすることはできません。そういう押し付けで多くの被害者が声をあげるのをためらってきたこと、気が付いてください。

被害を受けた上になぜ他人の思う被害者像に合わせて自分を殺さなければいけないのですか。もう少し冷静に、事実を見ることができるように、聞く側が努力するべきことだと思います。

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