あなたの考えるフェミニストでもアクティビストでもないかもしれません。

私は、自分のことを自分で決めることができない人間でした。

それは、高校生の時に性暴力にあってから、どんどんひどくなっていきました。
自分で自分のことを決める権利が、自分にはないと思い込んでしまったんです。

グラビアの仕事をしている中で、たくさん自分の権利を奪われました。
私の身体をどう扱うか、他者に決定される毎日に疲れ果てて、27歳くらいの時から、「私は私のために生きよう」と決めました。

その延長線上に、#MeTooがあって、フェミニズムに出会って、#KuTooがありました。

私は、自分のために運動をしています。自分が社会から差別がなくなってほしいと思うから、活動をしています。
皆さんのために運動をしているわけではありません。

たまたま、私が「いいな」と思う社会と、たまたまフェミニズムが目指す社会が合致した、ということです。

私があってフェミニズムがあるのであって、私がフェミニズムに合わせることはありません。
もし、フェミニズムというものが他者に役割を押し付け、その人が嫌と言っていることを「あなたはこうするべきだ」と理由をつけてやってもいい、というならば、私はフェミニストである必要性は感じません。

私は、すべての人が自分として生きられる世界を作るために活動しています。それが平等だと思うからです。
もし、すべての人が自分として生きられる世界にするために、自分が自分でいられないのなら、私は活動をする意味がありません。

私は、応援してほしくないという話をしているのではありません。
私がやっていることは私の問題でもあり、あなたの問題でもあるのだから、応援ではなくて一緒に頑張ってくれ、ということです。
#KuTooに賛同してほしければもっと丁寧にやれ、という言葉に対して「問題だという認識を持っていない人に賛同を求めていないので大丈夫です」と言ってきたのは、そういうことです。「これは自分の問題だ」と感じる人を増やすための運動なのです。

無理に何かをしてくれ、という話ではありません。
「石川のためにRT一回しかできなかった」ではなくて、「社会からデマをなくすために今日は一回RTできた」と考えてほしい。そう思います。
私も私のできる範囲で自分にできることを、でも無理はせずに活動しています。

私は、誰もがアクティビストを名乗っていいのだと考えています。私たちがするアクションは、とても価値のあるものです。ツイート一回だって、立派なアクションです。それはもうアクティビストと言ってよいのではないか。そう考えているので、私は私をアクティビストと名乗っています。
アクティビストというものに定義や認定試験などはありません。

#KuTooが流行語大賞にノミネートされたときにスピーチでいいました。
「昨年ノミネートした#MeTooの受賞者が『声を上げたすべての人々』だったように、この#KuTooの受賞者も、私個人ではなく、アクションを起こしてくださったすべての方々が受賞者だと思っています。」

私は、運動の発信者と言うことで#KuTooに関することは責任を持って運動を進めてきたつもりです。取材を受けまくり、文章を書きまくり、行けるところには必ずいって、運動を知ってもらうために活動してきました。私が始めた運動なので、その責任があると私は思っています。

しかしそれは、すべての女性やフェミニストの責任を背負うということでは決してありません。

私は私のやりたいことを全力でやっているだけです。なぜかというと、私は私の人生を精一杯生きることが、私に対して敬意を払うということだと思っているからです。そして、私は私を取り戻すためにフェミニストになりました。フェミニズムに出会いました。

私は、皆さん一人一人がフェミニズムやアクティビズムは自分事だと気が付いてくれるように活動をしています。そのための#KuTooでもあります。
その中で、私がフェミニストやアクティビストの代表であるかのような扱いを受けることは、私が目指している社会と真反対のものです。
私が目指していない世界のために、私が私を変えることはしません。

どうか、皆さんも自分の人生を生きてください。私ではなく、自分を幸せにしてあげるために生きてください。そして、私にやってほしいことはぜひ自分でやってください。私は皆さんの操り人形ではないし、皆さんも私の操り人形ではないはずです。

お互いに意見が違っただけです。当然です、私と皆さんは違う人間なので。

私は、皆さんが私の想像しないような行動をしても「暴走した」とか、「制御不能」とか、そんなふうには思いません。「私の考えの及ばないようなことを考えているのだろうな」と思います。

ましてや、「ちょっと休んだ方がいいよ」とか、その周りの人に「止めてあげて」とか「カルト集団」ということもいいません。

あ、自分とは違うんだな、そう思うだけです。

どうか、自分と他人は違う人間だということ、誰に対しても相手の内面を自分が決めつけることをしてはいけないということを思い出してください。
私は私で、皆さんとは違う人間です。

何かが起きたときに皆さんと同じように反応をしないことだってあるし、同じように考えないことだってあります。
それは分断ではなく、私と皆さんは違う人間だ、というだけの話です。悲しいことではありません。

私は、どれだけ私を幸せにしてあげられるか、それだけを考えて生きています。自分勝手に思えるでしょうか?
でもその結果、#KuTooが生まれました。
私だけではなくて、すべての人が自分の幸せのために生きられるようになったら、私はそれが一番素敵だと思います。

他者に必要以上に依存しない、自分の幸せの価値観を自分で決めることができて、他人の幸せにも口を出さない。
誰かが代表になっていくよりも、みんなが同じようにアクション出来る社会になったほうが、私は今よりも平等へ進むスピードが速くなると思います。

私は私のやり方で、私のことを一人の人間として見てくれる周りの仲間と一緒に活動していきます。私と一緒に活動している人は、私に従っているのではありません。私と思うことが似ているのです。同じように主体性を大切にする人たちだということ、人が嫌だと言っていることはやらないと決めている人たちだというだけです。勝手にありもしない主従関係を作らないでください。失礼です。

私はフェミニストやアクティビストの前に、性暴力のサバイバーであり石川由美子という一人の人間です。皆さんと同じ人間です。それを忘れないでください。

#デマを許さない社会に Twitterデモは明日が最終日です。司法が出した判決結果すら捻じ曲げられようとする、そんな社会と一緒に闘っている皆さんを尊敬します。一緒に闘いましょう。

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