自分の幸せと選挙に行くことが繋がるまで

昨日書いた記事に続いて、じゃあ選挙に行かなかった頃の私を思い返して、その立場から今回の選挙について思ったことを書いていこうと思います。

私は今回、コロナがあってさすがにみんな投票に行くんじゃないかと思っていました。でも、私の周りには選挙に行っていない人もやっぱりたくさんいました。10年以上前からやっている完全プライベートのTwitterアカウントがあるのですが(リアルな知り合いばかりの鍵アカウント)、選挙の話をしている人はほぼなし。(一人だけ投票行ったって投稿をしていた)

今回、岐阜5区という私の地元から今井るるさんという25歳の方が立候補していました。地元の友達にも連絡したりしました。「多治見から若い子が出てるから応援してあげて!」と。その時に、「立憲から出てるんだけど、私も立憲の議員さんと対談したりすることもあって」という話とその記事を一緒に添えたりしたのだけれど、「今井さんは知ってるけど立憲ってなに?」と言われました。そう、立憲民主党を知らない。

その子は私の#KuTooの運動のことも知っているし、朝日新聞に公告を出すときはクラファンもしてくれました。
だけど、私がしている活動が社会や政治と繋がる活動だということはよくわからなかったっぽいです。

でも、この子が特別無知だとか、そういうことでは全くないと思います。
自分のことを思い返しても、そうでした。前回のブログに書いたように、私は選挙に行ったことが全然ありませんでした。
なぜ行かないのか、なんてことすら考えたことすらありませんでした。というか、なんで行かなきゃいけないの?というくらいだったと思う。

私の高校は、とても保守的だったと思います。制服のスカートは膝が出てはだめ、眉毛を剃ったりするだけで怒られることもあり、地毛証明書を出さないと髪の毛を黒く染めさせられる。運動部は当たり前に教師からの暴力がある部活もあった。
そんな高校生活を送って、「何かを変える」という思考は完全に奪われたように思います。理不尽なことはたくさんあったけど、「そういうもの」。
だから、私は例えば国の法律がどんどん変わっていっているなんて知りませんでした。誰かが声をあげて決まっているはずのことが変わっていくことがあるなんて、わからなかったんです。

そういう情報は全然入ってこなかったのに、「女性は早く結婚して子どもを産むのが幸せだから、いい男性に好いてもらわないと」みたいなものはこっちから取りに行かなくてもどんどんどんどん私の頭の中にたくさん入ってきました。
働くことは大変なことで女性にはむいていなくて、だから早く結婚して養ってもらわなければ、だからそのための努力をしなければ。私の周りには本当にそういう情報で溢れていました。男性も女性も、そういう前提で話をする人が本当に多かった。
テレビを見ても雑誌を見てもそうでした。

そういった中でずっと非正規で働いてきて、毎日8時間働いても全然余裕がなくて、セクハラとかパワハラは当たり前で、何をしても自分のせいで、とにかく自分に自信がなくなって、今思うと本当に元気のない日々を送っていました。でもその時は、自分が幸せでないことすら気が付いていませんでした。
その時はその時で、幸せだと思い込んでいました。「仕事があるだけ幸せ」「生きているだけ幸せだ」って。セクハラにも性暴力にもあって、尊厳はボロボロだったのに。

どんな状況で、楽しみと言えばお酒を飲んだりテレビを見たりすることくらい。時間もお金もないから、手軽に満たせる楽しみに走っていたなと思います。そしてそういう場で入ってくる情報っていうのは結局ずっと変わらないですよね。そんな場所で「政治のことを考えろ」とか言ってもらえたことがなかったです。

切実に思います。教えてほしかった。

色んなメディアで「女はモテないと」と刷り込むくらい同じように「幸せのためには選挙に行かないと」と。中高出て勉強もそれなりにはできて(所詮中高の成績の話だけど)、本だって子どものころから読む習慣はあった。それでも私は政治にたどり着けなかった。
オリンピックが行われることはほとんどの人が知っていただろうに、10/31に選挙があることを知っていた人はそのうちのどれくらいなんだろう。

私は、政治家の人たちが自分たちと同じ人間だという実感がまったくありませんでした。
まず身近にいたことがなかったし、何してるのか全然わからないし。
与党と野党すらよくわかってなかった。政党なんてもののこともよくわからなかったし、政策がみんな違うとかも全然知らない。

その状態で今回の選挙に行っていたら、多分維新に入れていたんじゃないかなって思います。だって本当に吉村さんの顔をよく見たから。知らない人より知ってる人に入れてると思う。入れようにも入れられないんですよ、他の人知らないんだもん。

そんな状態でパンケーキだのお好み焼きだの、庶民的なところをアピールされたら親近感持ってしまうと思います。
「あ、この人たちって同じ社会に生きている人たちなのね」って、思ってしまう。それだけで安心してしまう。
逆に言うとそれだけでまず安心させることができるのにな・・・とも思います。

私は幸せになるには恋愛を叶えないといけないと思っていたから、そういう情報は沢山沢山取りに行っていました。恋愛・メイク・ファッション・流行り・おいしいお店・インスタ映えするもの・芸能人・お笑い。私の幸せっていうのは、そういうところにしかないと思っていました。だから必死で色々な情報を取りに行ったし、手の届きやすい場所にあった。頑張らなくてもわかりやすく私の頭の中に入ってきてくれました。でも、政治はそうじゃありませんでした。

実際に色んな被害に遭って、もうダメだって時にたまたま#MeTooがあって、それでフェミニズムを知って政治のことも知っていきました。

その時はその時で、必死に幸せを求めて生きていました。だからこそ選挙に行けなかったのかもしれない。だって、働く時間の方が大切だもん。選挙に行くより、安心して毎日を暮らしていくために結婚したいから、男の人と会わないといけないとか。そんな感覚でした。

もっと何もしなくても当時の私に届くようにしてほしかった。あの頃の私は努力してなかったわけじゃない、甘えてたわけでもない。
その時必死に幸せを求めて生きていました。だって、今の私はそのころと変わらずの気持ちだけど、選挙に行かなきゃいけないと知っている。頭がよくなったわけじゃない。単に知る機会に恵まれただけだし、それは本当にたまたまです。 努力をしたわけでもなんでもない。ただ幸せになるためにすることの方向性が変わっただけです。

これはフェミニズムにも言えることだと思うんだけど、ほんっとうに知らないんですよ。選挙のことも政治のことも、目にしたり耳にする機会もない。自分たちの幸せと繋がっているなんて思えないから、選挙に行く意味が全く分からない。みんな政治の話はするもんじゃないって思ってるから、友達同士ですることもない。こんな状態でどうやって知ればよかったんでしょうか?

「自分の一票で変わるわけじゃないから」という理由で選挙に行かない人の意見をよく聞くけど、そこには「一票」っていうのもあるだろうけど、そもそもみんなが選挙に行ったところで何かが変わることがある、っていうことも知らないんじゃないかな?と思いました。

フェミニズムや政治について学んでいると、どうしても距離を感じるというか、「この人たちは高卒で非正規でしか働いたことのない人間の感覚はどこまでわかってくれているんだろう」と感じることが本当に多いんです。30歳になるまでフェミニズムという言葉もジェンダーという言葉にも触れられる機会がなかった人間の生活について、どこまでわかってもらえているんだろう。自己責任?でも私が今フェミニズムを学べているのは自分が頑張ったからじゃないですもん。自分が責任を果たしたからじゃないですもん。

コロナだから投票率が上がるだろうと思っていたけど、コロナだから投票率が上がらなかったのかなとも。(少しは上がっていると思うけど、それでももっとがーっと上がるとばかり思っていた)みんな自分の生活に必死で、投票なんて行く余裕がないんじゃないか・・・

あの頃の私に教えてあげたい。あなたの幸せのために選挙にいってほしいって。必死に頑張ってる恋愛やメイク・アルバイトもぜんぶ、政治とかフェミニズムで救われることがたくさんあるよって。

でも届かないんですよ、テレビやメディアの刷り込みには勝てない。繰り返し繰り返し目にするものには勝てない。
もっといろんな政治家さんを普段からテレビで見れたらなー。大変な生活の中で一息つくために着けるバラエティー番組とかで、いろんな政治家さんが自分の話をしていたら、政治って自分にも関係のあることなのかなって思えたかもしれないな。

人気取りみたいでだめなのかな。でも、政策だけ聞いててもどうしても自分たちのことだと思えないんだよ。自民党の人だけじゃなくて、いろんな政治家さんの好きな食べ物とか家族観とか幸せについて、普段から目にすることが頻繁にあったらもっと自分から調べに行こうと思ったかもしれないな。

あの頃、どうやったら好きな人とうまくいくのだろうか、どうしたら結婚できるのかって必死でいろんな恋愛啓発本を読んだりする熱量と同じように今の私は選挙や政治・フェミニズムについて必死で調べているのです。目的は当時と何も変わっていない、「私が幸せになるため」なんです。

ただ、ひとつだけ変わったのは、「じゃあ自分の幸せってなんなんだろう?」って本気で向き合ったこと。そこからフェミニズムにいって、政治も自分事になった。それまでは制限付きの幸せを求めていた。例えば「時給1500円くらいほしいけど、そんなの無理だから1000円くらいで探すか・・・」みたいな感じ。でも今の私は、「時給1500円欲しいからその政策をかかげている政党に入れよう」となるわけですよね。自分の希望は時給1500円。そこをまず明確にしないと、そこにむかえない。
そのマインドになるには、やっぱり「自分の本当の幸せってなんなんだろう?」と一人一人がかなりしっかり向き合うことなのだろうけど、忙しく働いていると結局そんなことを考える余裕なんてのもなくて、そんなの贅沢だって無理だって思わされちゃっているのも相まって、負のスパイラルなのではないか、と思います。

だから、私は自分の幸せについて制限なしでどんどん表明していきたいと思います。私が幸せだと思うこと、それはお金の心配をせずに死ぬまで暮らしていけること。パートナーがいてもいなくても、安心して生きていけること。食べることに困ることがないこと。働く場所に困ることがないこと。満員電車に乗って通勤しなくてもいいこと。セクハラされないで過ごしていけること。勝手に私のことを決めつけて話をすすめられないこと。払わなければいけない税金がもっと減ること。誰もが同じように教育を受けられること。性暴力のない社会にすること。差別のない社会にすること。ヒールを履かなくても働けること。名字を変えなくても結婚できること。結婚していなくて子どもがいなくてもバカにされないこと。子どもが欲しいと思ったときに結婚していなくても産み育てていけること。セクハラとかパワハラとか、女性差別とか忖度とか誹謗中傷のない社会で芝居をすること・作ること。裸になった女性やセックスワーカーが差別されない社会にすること。子どもが性暴力や買春に巻き込まれないこと。

上げ始めたらきりがないけど、自分で自分の希望を知らないと何も始められないから。

和田靜香さんと小川淳也さんの本で最後、「小川さんの幸せはなんなんでしょうか」って話すところがあるんだけど、私は政治家さんの思い描く幸せについても知りたいです。
私は人は幸せになるために生きていると思うのです。幸せになりたくないって人も、その人の幸せは幸せになりたくないことなんだなって思うから誰一人例外はないんじゃないかと思います。ただ生まれてきたから生きているという人も、その人の中での一番いい状態があるのではないでしょうか。それは幸せと言い換えてもいいんじゃないかな。

政治は生きるために必要なことだし、となるとじゃあどう生きたら幸せなのか、何がその人にとっての幸せなのか。政策の前にそこも知りたいなー、っていうのは素人考えで必要のないことなのでしょうか。
参院選まで、私は何ができるのか。とにかく、少しでも多くの人に目にしてもらうことが必要なのではないかと思います。途切れずに頑張っていきたい。

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