【無料公開】『もう空気なんて読まない』より、「はじめに〜ずっと空気を読んできた〜」

2021/11/22に発売された石川優実初のエッセイ「もう空気なんて読まない」より、「はじめに〜ずっと空気を読んできた」を無料公開します。

幸せになるためには、自分を大切にするには、一体どうすればいいのだろう?
本当の自分として生きるために、自らの日常ととことん向き合い綴った本書。

ぜひご自身の毎日と照らし合わせてお読みください。

はじめに~ずっと空気を読んできた~

2000年代の半ば頃だっただろうか。 「KY」という言葉が流行した時期があった。

「K=空気」「Y=読めない」。主に空気が読めない人を指すときに使われた。

その時の私は高校を卒業したばかりで、子どもか、大人か、自分でもまだよく分からない年齢だった。

自分のことも、社会のことも、これからのことも、自分の頭を使って考えることがまったくできない人間だった。すべてがぼんやり、ふんわり、何を考えているのか自分でも把握していない、そんな時間をかなりのあいだ過ごしてきたような気がする。

しかし、ひとつだけはっきりと覚えていることがある。それは、「空気を読むことに必死だった」、ということだ。

「KY」「空気を読む」という言葉が登場する以前から、私は空気を読んでいた。強く印象に残っているのは、高校の時に付き合っていた男の子とのやりとりだ。

あんまり自分が乗り気じゃないときでも、性について(主に下ネタ)の話をされ、テンション高くリアクションすることを求められた。彼の望むような反応ができないとき、「ノリが悪い」と言われた。

すごくショックだったことを覚えている。

私は、元々キャピキャピしていないし、テンションが高いほうではない。いわゆる「女の子らしい」反応をする人間ではないのだろう。しかし、自分が自分らしく反応すると、責められてしまう。どうすればいいのかわからずにとても困ったし、自分はダメな人間なんだな、と思い込んだ。

この「ノリが悪い」という言葉はその時の彼だけではなく、その後の私の人生においてずっと耳に刺さってくるようになった。飲み会で体調が悪くてお酒を飲めないでいると「ノリが悪い」。キャバクラで働いていた時に当たり前のように触られてドン引きしていると「ノリが悪い」。グラビアの仕事で失礼なことを言ってくる「ファン」に対して笑って返さないと「ノリが悪い」のだ。地元の男友達何人かとのLINEグループでセクハラ発言を続けられている時、彼らの思うような返事をしないと「ノリが悪い」。プロデューサーがいる飲み会の場で、翌朝から仕事なので帰ろうとすると「ノリが悪い」とみなされた。

私が私らしくいようとすると、ノリが悪いらしい。何もうまくいかないので、他人の言うとおりにするようになった。男の機嫌を損ねないように空気を読まなければ、この社会で生きていくことはできないのだと悟ったからだ。

飲み会には必ず行って、セクハラされたらむしろ楽しいふりをして、ファンには何を言われても笑顔で対応、権力のある人にセックスをするように求められたら当然応え、嫌な振りなんて少しもしない。下ネタには積極的に乗って、「ノリのいい女」と認識させる。いつでもどこでも謙虚なふり。学歴もなくて脱いでいる私なんて、身分をわきまえて生きていないといけない。本気でそう思っていた。

結婚して子どもができないと、人として一人前になれない。そんな社会の空気もきちんと読んで、いつでも結婚と子どもを持つことを夢見てきた。それが女としての幸せだと信じていた。

そんな感じで過ごしてきた二〇代。たまに楽しいこともあり、たまに嫌なこともあり、たまに彼氏ができたり一緒に住んだり。なんとか「生きていく」ということはできていた。

しかし、なんだろう。こうやって空気を読んで生きてきた私は、自分自身をどこかに失ってしまったような気がする。空気は読めるのに、自分が何を考えているのかがまったくわからない。私は何が好きで、何が嫌いで、何に喜びを感じて、何に悲しみを感じて、何に怒って、何を楽しいと思って、何がしたくて、何がしたくないのか。そういったものが、まったくわからなくなってしまったのだ。

空気を読むことに必死になっていたら、自分自身が空気のような存在になってしまった。ぼんやり、ふんわり、どこにいるのかもよくわからない。当時の自分のことを、今の私はそう思う。

こうしているうちに、私は自分に起こった性暴力にも気がつかずに生きてきてしまった。自分が嫌だと思っていることに、自分の心を殺すようなことに、自分が気が付くことができなかったのだ。

空気を読むことを最優先して生きてきた結果、自分のなかにある小さな違和感もたくさん無視してしまった。「おかしいのではないか?」と思っても、黙っていた。気が付かないふりをしてしまった。

その頃の私は、私のことが大っ嫌いだった。自分のすること、言うこと、ふるまい、表情。すべてが嫌いだった。嫌いだったというか、「ダメ」だと思っていた。何をしても、私はダメだと思っていた。自分で選択したものは、ことごとく悪いと言われてきたからだ。そんな心持ちで過ごす毎日は、やっぱりうまくいくわけがない。自分のやることに自信を持てない状態で仕事に取り組んでも、そりゃあうまくいかないものだ。

そんな毎日に嫌気が差し、私は強く願った。「30歳になるまでに私として生きる」ということを。

当時は、自分ではない、他の誰かで生きているような感覚だった。「今の私は本当の私ではない」。それはわかっているのだけど、いったいなぜこんなことになっているのかはまったくわからなかった。

30歳までにこの願いを叶えるために、初めて自分は何が好きなのか、どんな時に幸せを感じるのか、何が嫌いなのか、などを細かくノートに書いた。このノートは誰にも見られないから、空気を読む必要はない。

それでも怖かった。空気を読むことが当たり前になりすぎて、誰にも見られていなくても自分の気持ちを何よりも優先して表現することがとても怖く感じた。

それでも勇気を出して書いてみた。「そんなの無理に決まってるよ」とか、「そんなこと言ったらバカにされるよ」とか、自分が自分に話しかけてくる。それでも何とか書いてみた。そしてノートを見返して、「ああ、私はこんなことを思っていたんだな」と知った。

初めて自分の気持ちが可視化された。

自分で自分の気持ちを認識した。それはとても新鮮なことだった。自分という存在が、少しずつくっきりしてきた。

空気を読むよりも、自分の気持ちを少しでも優先する。それは私にとって難しく勇気がいることだったが、心地の良いものだったから、少しずつ続けた。白黒だった世界に、色が付いた感覚だった。その結果、私はフェミニズムに出会う。そして、空気は読まなくていいんだと確信した。社会も確実に、「空気を読む」という言葉を好んで使うことが少なくなってきている。

もし、あなたがこれまで空気を読んで生きてきたのなら、そして、その状態にモヤモヤしているのなら、一度、「空気を読まない」ということを試してみてほしい。やってみて嫌だったら、また読み始めればいいのだ。いつだって、前の自分に戻ることはできる。

私はもう、以前の自分には戻らないだろう。空気を読まないことが、こんなに自分に幸せを感じさせてくれるということに気づいたからだ。二〇代の頃に願った、「私として生きる」ということを叶えてくれたからだ。

もやもやしながらも空気を読みつつ生きていくのか、本当の自分で生きていくのか。その選択は、あなたにしかできない。ぜひ、少し勇気を出してみてほしい。きっとその先には、たくさんの仲間や幸せが待っている。

 

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