人をいじめていい理由

北村紗衣さんや池内さおりさんなど、女性へのひどいサイバーハラスメントが目につきます。
これは今に始まったことではありません。ずっとあって、でもずっと被害者が黙らせ続けられてきた結果の今日だと思います。
私のYouTubeチャンネルのコメントも見ていただけたら分かりやすいかと思います。
この中に「正当な批判」がどれだけあるのでしょうか。

誹謗中傷をする人たちは、相手に嫌な思いをさせたいと思っていることが多いと思うので、わざわざ本人の目につくようにしたり、ハッシュタグを使ったり、人数を多く見せようとします。
それに対して、さえぼう先生やフェミニストを応援している人たちはいい気分になって欲しいわけではないだろうから、応援の気持ちをあまり積極的にわざわざ表明しないんじゃないかと思います。
それは至って自然なことではありますが、数としてあまりにも差が出てしまいます。

まるで自分には応援者が誰もいないかのような気持ちになってしまいます。誹謗中傷する人たちは主語が大きいですしね。
よく「フェミニストに迷惑です」とか、「みんなあなたのことおかしいと思ってますよ」と言ってきます。
どのフェミニストに迷惑なのか言って欲しいし、みんなって大体何人くらいでどこの誰のことなのか教えて欲しい。

その労力を、私は見習わなければいけないと思います。
オンラインハラスメントをやめろ、#さえぼう先生への二次加害に抗議します、応援しています、#池内さおりさんを支持します。
そういった表明を、もっと積極的にできると思います。
そこに誹謗中傷やデマ、ミスリードや印象操作は必要ありません。

ただ、自分で思っている以上に応援の声って届きません。人の表現って、大袈裟かなってくらいしないと伝わらないところがあります。
今は顔を出さなくてもできることがたくさんある時代です。
応援専用のアカウントを作ってもいい。誹謗中傷する人は誹謗中傷専門のアカウント作ってますからね。
一人でアカウントをいくつか持つこと自体は何も悪いことではないはずですし、無料でできますよね。

人をいじめていい理由

理由があれば、人をいじめてもいいと思っている人たちがいます。
理由があれば、人の容姿を侮辱してもいいと思っている人たちがいます。
理由があれば、その人が傷つくであろうことを本人に伝えてもいいと思っている人たちがいます。
理由があれば、仲間内で誹謗中傷をしてもいいと思っている人たちがいます。
理由があれば、毎日毎日嫌がられても一人の人にしつこくコメントをしてもいいと思っている人たちがいます。
理由があれば、集団でネット上で誹謗中傷されている人がいても仕方ないと思っている人たちがいます。

嫌われていたら、いじめられても仕方がない。
私がこんなに毎日毎日、二年以上にわたって嫌がらせのコメントをされるのは私が悪いからだ。
私が嫌われるようなことをしたからだ。
嫌われた私は、ずっと罰を受け続けているんだ。
嫌われた私は、「動画見てないけど低評価押しました笑」と言われても仕方がない。
嫌われた私は、「この人とニキビ潰す動画はどうしても見ちゃうんですよね笑」と言われても仕方ない。
嫌われた私は、「靴の人」とバカにされても言われても仕方がない。
嫌われた私は、私の発言を全て馬鹿らしいものだと言われても仕方がない。

#KuTooが始まってから今日まで私は、ずっとそう思っています。
嫌われてるからずっと誹謗中傷に継続的にあっているし、だから誰も助けてくれないんだ、見て見ぬふりをずっとされてるんだ。
嫌われているのでこれは仕方がないことなんだ。
嫌われるというのは、何をされても仕方がないことなんだな、それが今の私の理解です。

私は、嫌われることといじめられることがイコールになるとは思っていませんでした。
好かれなくていいけど、嫌われてて別にいいけど、いじめられたくない。そう思っていました。
でも、私が嫌われるようなことをするから仕方がないように思えます。

仕方がないっていうのはどういうことなんでしょうか。

嫌いな人をいじめてしまう人は、何か仕方のない状況に置かれているのでしょうか。

加害者に寄り添う優しい社会

差別をやめてくれというと、殴ったことにされる。バカにした発言に対して言い返すと喧嘩を売ったことにされる。
先に失礼なことを言った人に言い返すと、「同じ土俵に立ったこと」になってしまう。
「これはハラスメントだ、やめてください」と抗議すると、どっちもどっちになってしまう。

つまりどれだけ嫌がらせをされても、性差別を受けても、バカにされても、黙ってサンドバッグになって耐えていないと嫌がらせをされたと認めてあげませんよ、被害者ならそうしていなさい。そういうことですよね。どこまで加害者に寄り添う社会なんだろう。とても優しい社会ですね。

性差別や誹謗中傷、デマを流すことを「批判」だと言い換え、性差別や誹謗中傷、デマを流すことに抗議すると「誹謗中傷だ」と言い換える。

発信源見てくださいよ。いつでも先に嫌がらせをされたのはこっちです。先に差別されたのはこっちです。先に失礼なことをされたのはこっちです。

嫌がらせしないといられない人たちのメンタルは、もう少し社会全体で向き合わなければいけない問題だと思います。

なぜ自分が何か言われたわけでもないのに付き纏ってしまうのか、嫌がられていることがわかっていてもなおリプを送り続け、インスタやFacebook、YouTubeまで追いかけていってしまうのか、そのストーカー性を考えた方がいい。

この記事に対する反応は分かります。

「批判されたくないなら活動をしなければいい」

私は批判されたくないなんて一言も言っていません。
毎日毎日しつこくコメントをし続けたり、デマを流したり、容姿のことを言ったり、見てもないのに低評価を押したり、男性には言わないことを言ってきたり、過去のパワハラやセクハラ被害を加害者でなく私の責任にしたり、そういったことをやめろと言ってます。見たくないなら見なければいい。もしも私が社会的に問題があることをしていると判断するなら、それを解決するような方法を取ればいい。そしてそれは、私のSNSに毎日毎日誹謗中傷をすることでは解決しないはずです。

法にも触れていない、ハラスメントにもならない、差別発言でもない、差別の助長にもならない、だったら私が何をどう表現するかは私の自由のはずなのに、それをなんとか黙らせようとする人たち、それも大量にいる人たち、その人たちの都合の良い、気にいるような私になんて絶対になりたくないし、それは私の望む私ではないし私ではない。

そうでいなければしつこく集団にいじめられ続けるのならば、私に自由があるとは言えない。

これは私だけの問題ではありません。自分たちの気に入らないやり方で声を上げると、いつも起こることです、起こってきたことです。
この社会はみんなのものです。自分が誰かに許可を出せると思い込んでいるなら勘違いです。自分が誰かをジャッジできると思っているなら大きな勘違いです。

傍観者だらけの社会で声をあげる必要性

最後に、「そんなのスルーすればいい」と言い続けてきた自称「あなたのためを思って」さん。スルーし続けた結果、こうなってますよ。減るどころかどんどん増え続け、2ちゃんねるからTwitterにまで進出し本人の目につくところで誹謗中傷が繰り返されるようになり、人が死んでいますよ。
見て見ぬ振りをし続けてきた皆さん。安全な場所から見てるだけ、それでもフェミニストが勝ち取ってきた権利だけはしっかりお使いになる皆さん。どんな気分ですか?「自分はあんな目に合わなくてよかった」と思ってますか?よかったですね、なんのリスクもなく、権利だけ享受できるなんて、とても羨ましいです。

私はすでに#KuTooの署名が始まった頃には職場でのパンプス規定は消えて、履く必要がなくなっていましたから、こんなに頑張らなくてよかったなと思います。私の権利のことだけ考えて生きていればよかったなと思います。職場も恵まれていて、ハラスメントもない、とてもいい環境だし、パートナーはフェミニストだし、友人もフェミニストだし、私は何もせずに生きていれば被害もない。性差別を受けるようなことももうそうそうない。だったらもう、何もしなければよかった。私は何か起きたら相談機関に繋がれるし、警察にだって行けるし変なことを言われても言い返せる、それだけの知識はもう得た。私が私のためにすることはもうない。

一体誰が声を上げ続けられるんでしょうか。一体誰がこれからも声を上げられるのでしょうか。

誰が声を上げられない環境を作り出してるんですか?誰が加害者を守り続けてるんですか?

誹謗中傷が問題だとされてからもうすぐで一年が経ちます。なにか変わったのでしょうか、私にはよく分かりません。

【試し読み】石川優実『#KuToo:靴から考える本気のフェミニズム』
”『#KuToo』発売から3カ月、Twitter上での石川優実さんへの誹謗中傷が跡を絶ちません。
 石川さんがどのような気持で闘ってきたのか、みなさんと共有できればと思い「2 #KuToo バックラッシュ実録」より、石川さんによる総括部分を公開します。”

現代書館noteより

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