あんなさんの友達がいう「発端は石川の勘違い」について
先日このようなブログを書きました。
多くの方から直接LINEをいただいたりDMをいただいたり、本当にありがとうございました。Twitterでも一緒に声をあげてくださってありがたいです。
あんなさんの行動が私の自己決定権を奪おうとする人権侵害だということを、思った以上にわかってくださる人がいて、少し安心しています。
ブログを書いたそのあとに、数名の方からご指摘をいただきました。
「そもそもの発端が、石川氏に宛てていないツイートについて、石川氏のことを言っていると勘違いした石川氏とその周辺によるいいがかり」
「発端が勘違いってまだ自覚してないのかな?知らんぷり?そこからずーっと被害者ムーブで、細かい言質取ってモラハラムーブにもほどがあるんだけど。スタートが言いがかりだから妄想から始まってんのよ」
あんなさんご本人からは
「彼女がTwitter上で私の友人に対して暴言ともとれる発言をしていたため」
というご指摘もいただきました。
しかし、どれもそれが私のどの言葉なのか、具体的に提示されていません。
一体どれが暴言なのか、どれが私の勘違いで妄想なのか、私も見ている皆さんもはっきりしないまま話が進んでいます。
目次
動画で声をあげたこと
ここにたどり着く前に、もっと前からの話があります。
私がこの動画をあげたことです。
誹謗中傷やデマを広められて、二年以上が過ぎました。毎日毎日、相当数の誹謗中傷とデマを広められて、何回も死にたいと思いました。
でも、今もまだ傍観している人がたくさんいる。
そんな中、自分なりに必死にあげた動画でした。
勇気が必要でした。自分が被害を訴えること、味方だという人たちに苦言をすること、でもこの二年間、何も変わらなかったからきちんと言わないといけないのではないか、そう思い、アップした動画でした。
これに対して、一部のフェミニストの人たちから「傷ついた」「疲れているから休ませるべきだ」「味方を傷つけている」という声があがったそうです。
流れとして、一緒に活動しているクボユウスケさんは、クラブハウスで日頃から私やフェミニストがあい続けているオンライン上のハラスメントの深刻さについて訴えてくれていました。
その日もそのような話をしている中で、mさんという方がクボさんにこの動画を見たと話をし始めたそうです。
なので、「そうやって誹謗中傷に遭い続けて死にたくなっている人を見てどう思うか」というようなことをクボさんが聞いたところ、
「傷ついた」「味方を傷つけているから休ませろ」「相当追い込まれてる」と言い出した人たちがいたそうです。(動画の話を出してきたmさん含む)それは今回のあんなさんの件を擁護している人たちとかぶっています。
クボさんはまさかフェミニストからこのような二次加害、トーンポリシング的な発言が出るとは思わなかったらしく、びっくりもしたしあきれもしたそうです。
「私たちはフェミニストだからトーンポリシングするわけない」というような発言もあったそうです。
延々と「死にたくなっている被害者について寄り添うこと」をせずに、「こんな動画を出されて自分たちが傷ついた」という話がなされた。これが被害の軽視じゃないならなんなんですか?
私はこの動画で怒っています。もっと、わかりやすく泣いて「助けてください」と訴えなければいけなかったですか?
皆さんにも伝わるように、怒らずに冷静に時にウィットさも交えてお願いベースで(これは「発端は石川の妄想」と言っていた人がクボさんに送ったこの動画への”アドバイス”です。)動画を作ればよかったですかね。
この男性はクボさんへのDMで、「石川さんや北村先生には誹謗中傷を負わせてしまって申し訳なく思っています。」と言いながら誹謗中傷をする加害者ではななく、被害者である私に対しての”アドバイス”を続けていました。それが軽視してるってことなんだよ、二次加害なんだよということが自覚できていないようです。
#KuToo本での全面勝訴に関してのデマが止まらなった
その後、前回のブログにも書きましたが、#KuToo本に関しての裁判の判決で全面勝訴しました。判決文も全文公開されましたがそれでもなおこの裁判に関するデマがどんどん生まれました。Twitter上でもですし、12万回再生されている動画でもです。
司法の決定すら捻じ曲げられる。でもこれは、フェミニストが、というか社会的マイノリティーがずっとされてきていることですよね。私も、フェミニストの活動をするまではこんなこと経験したことはありませんでした。
これまで問題にされてきた歴史修正が今目の前で起こっている。私の判決が、匿名の数で捻じ曲げられてしまう。そう思い、事実の拡散をお願いしました。ですが、デマの拡散のようには広められませんでした。
それに対して、「石川さんが嫌われているから広めてもらえないんじゃないですか?」というリプライがつきました。
実際、私はそう思っていました。みんな私のことが嫌いだから、ずっと受け続けている誹謗中傷やデマと一緒に闘わずに見て見ぬふりをしていたり、事実の拡散に協力してくれないんだろうと思っていました。もしくは、ミュートしているので見られないのだろうと。
でも、今回の訴訟の全面勝訴報告にはたくさんのいいねが付きました。「え、私のツイート、見えていたんだ」と思い、絶望しました。
なんでこういうツイートだけに反応して、集団リンチにあっているときは無視されるんだろう。嫌いだったらこの勝訴ツイートにも反応しないのでは?そう思い、皮肉で
「そうですね、私が嫌われてるんでしょうね」というような返事をしました。もう何もかもに絶望している時でした。
そこに、相互フォロワーの方から「石川さんを嫌ってなんていない」というようなリプがつきました。正直、もうやめてほしかった。私は嫌われているとか嫌われていないかの話をしていなかったんです。「なんで嫌ってないはずなのに事実の拡散に協力せず、集団リンチにあっていても見て見ぬふりをし続ける人がこんなに多いんだ」という話でした。
そこに私に対して「嫌ってない」と言われても、事実今全然本当のことが拡散されない。せめて嫌ってないとかは私じゃなくてこのアンチに言ってくれよ。そう思いました。
しかし、「そんな話の流れ見てないからわからない」と言われました。
わからないなら安易にリプライしないでほしかった。反射的にコメントするのやめてほしかった。
どういう状況かわからずに相手にリプライしてもいい、ってなんなんでしょうか。しかも、多分この方からリプライが来たのは初めてだったと思います。
知らない人間に話しかけるとき、相手の背景を考えずにこんなに気軽に自分の思ったことをぶつけてよいのでしたっけ?
私のこのフェミニストの方への反応に対して「失礼だ」という批判が相次ぎました。でも、私だって最初のこの方の反応が失礼だと思ったから抗議したんですよ。相手の背景を何も考慮せずに自分の思ったことをぽんっと相手にぶつける。それって私にとってはとても失礼なことだと感じます。皆さんが感じなくても、私はそう感じるんです。皆さんと私は違う人間です。
意図していなくても相手を傷つけることはある。だからそれを言われたときは謝るんじゃなかったんでしたっけ?なぜむこうの「失礼だと感じた」だけが有効で、私が感じた「もうやめてほしい」は聞いてもらえないのでしょうか。
私だって、相手に失礼なことを言う意図なんてありません。私は私にされたことの抗議をしただけです。今現在デマを広められて絶望している人間に前後の流れ読まずに気軽にリプライしてこないで。こう思うことも、これを抗議することも私には許されなかったのでしょうか?
「もっと私の意思を尊重してほしい」じゃないです。「あなたの「失礼だ」と感じた意思を尊重するのと同じように、私も意思も尊重してくれ」という話です。
ずっとずっと、まるで私の意思が存在しないように扱われています。
更に別の人から、「いつでも石川さんのツイートを見れるわけがない。いつでも助けてくれなんて幼稚だ」というようなことも言われました。
いつでも助けてなんて言っていない。勝訴の時だけ反応してそれ以外の時は何もしない、それが2年間ずっと続いている、それはなぜなんだという話をしています。
「みんな石川さん個人を応援しているのではなく、Cause(大義や主義、目的)を応援してるんだ」と言われました。
そんなの知っとるわ!だからこそ「応援」ではなく「自分たちも一緒に」にしてくれと訴えていたのですが、全く通じずでした。
誹謗中傷やデマを広められる行為を、女性差別と関係のない「石川個人の問題」ととらえているのでしょう。
ここで、「応援してると言ってこないで」と私が言ったことに対して、多くの人から「味方に応援するななんておかしくなった、休め」というような声を聞くようになりました。ずっと思っていて言えなかったことを言っただけなのにね。私がおかしくなったそうです。
そのタイミングで色々と呟きだした人たち
そしてその日かその次の日くらいに、大袈裟太郎氏の「痴漢に遭った人に電車に乗るなということと、誹謗中傷のアクティビストに休めということは違う」といった発言や、クラブハウスで動画を見て傷ついたと言ったmさんが特に誰ということは言わずにツイートがされました。(このツイートがどんなものだったのか忘れてしまいました。蒼平さんが教えてくれるのではないかと思います。)
このタイミング、そして以前からこの人たちが私に対して「休んだ方がいい」という発言をしていたことを知っていたので、エアで言っているんだろうなと思って私はいい加減にしてくれ、というようなツイートをしたと思います。それに対してお二人とも、「誰も石川さんの話なんてしていない」と言いまいした。
大袈裟氏は、以前からクボさんに「石川さんを休ませてあげろ」とDMを送っていまいした。
私があるツイートをしたことがありました。「専業主婦がなぜ専業主婦を選ぶことになったのか、考えなければいけないよね」というような内容だったと思います。それに対して大袈裟氏は、「これは石川さんじゃなくクボさんが呟いたものですよね?」とクボさんに送ってきました。でなければおかしい、こんなこと石川さんが言うはずない、と。これって、ただの私の人格の否定ですよね。そしてこんなことを呟く石川さんはおかしくなっているからクボさんが休ませてあげるべきだ、と。
大袈裟氏に理解できないことを呟いたら、私はおかしくなっているそうです。どれだけ人のことをバカにしているのでしょうか。こうやって自分の想像を超えることを私が言ったらおかしくなったということにして、行動を制限させようとしてきていた人です。
そして、前日には先ほど話したフェミニストの方とのやりとりがあり、その際に私がいろんな人から休めと言われて「おかしくなってないから休めとか言ってこないでください」と抗議していたこと、更に「誹謗中傷を受けているアクティビスト」という、日本でそんなに多くないであろう属性を出して言ったツイートでした。百歩譲って私のことでなくても、「誹謗中傷を受けているアクティビスト」である私が反応するのは何もおかしくないです。
だって、「電車で痴漢にあった女性は電車に乗らない方がいい」というツイートを誰かがしていたら、電車で痴漢にあったことのある女性でなくても怒りますよね?
mさんは、「石川さんのことではない」と言いながら、「絡まれたから言わせてもらうけどあの動画は傷ついた」と話しだしました。いや、だからそれ以前から言っててこっちも知ってるって。今だから言うけど、じゃないんですよ。前から言ってるの知ってたからあなたのツイートは私のことを指しているんだろうな(しかも前日にそういうことがあってのこのタイミングでのつぶやき)、と思っての私の発言です。
あんなさんや蒼平さんの言っている「石川氏の勘違いによる暴言」は、このあたりのことじゃないかと私は想定していますがどうなのでしょうか。
これって私の勘違いですか?それを明確にしたいので、早く蒼平さんにはっきりとしてほしいんです。私の勘違いが発端というその事柄を。
同じ反応を性暴力の被害者にもするのか?
すみませんが、私がこの二年間、誹謗中傷やデマを広められ続けている被害者だ、ということをわかっていますか?
「動画への感想を言っただけだ」という人がいます。この動画が、「二年間ずっと誹謗中傷に遭い続けて死にたくなっている被害者のアップした動画だ」ということ、本当にわかっていますか?
性暴力の被害者にも同じようにアドバイスしてしまいますか?「傷ついた」「休め」「追い込まれている」と言って、その人の声を聞かないなんてことしますか?
私は、たくさんの性暴力にもあっています。だけど、この二年間オンラインで誹謗中傷やデマを広められているほうが圧倒的に何回も死を考えました。
勝手に私の被害を軽く扱わないでほしい。
大袈裟太郎氏の「痴漢にあった人に電車に乗るなということと、誹謗中傷にあっているアクティビストに休めということは違う」という発言。クボさんに対して「石川さんを休ませた方がいい」と言ってきていた彼が「石川さんのことなんて言ってない」と言いながらがTwitter上で言っていました。
ほら、痴漢よりも誹謗中傷が軽いって言ってるようなものじゃないですか。痴漢被害者には乗るなって言わないんでしょ?なんで誹謗中傷にあっているアクティビストには言ってしまうの?
今日も「性暴力も誹謗中傷も同じ傷だと思っています」と言いながら、一切私の受けている被害について話をしない人がいました。「軽視していない」と言葉で言っていても、全然誹謗中傷の話をせずに「動画について傷ついた」とかそういう話しかしていないんですよ。それって軽視以外の何物でもないじゃないですか。
あんなさんやそのお友達たちが、今回の様々なネット上のやり取りの中で「インターネット上の誹謗中傷をどうしていくか」という話を一切していないことがその証拠だと思います。
本当に軽視していないならその話が一番になされるべきなのでは?
動画を見たときは声をあげているということがわからなくても、本人が「この動画は声をあげたんだ」と言ったら「そうだったんだ」とならないのはなぜですか?
今回の流れで、フェミニストや反差別の活動をしている人たちから「石川がリプ欄を閉じなかったから」「アンチを育てた」「石川にリツイートされたせいでこっちにまで粘着が来て迷惑だった」という発言が見られて、とても驚いています。いつでも「嫌がらせやハラスメント、加害をする側に問題がある」という前提はいったいどこに行ってしまったのでしょうか。
人によってその前提が変わってしまう人たちと当然連帯なんてできません。
良かれと思っていたら、休みたくないと言っている人に「休め」と言い続けていいのでしょうか?それって、セクハラしてる人が「褒めてるんだからいいだろう」というのと何が違うんですか?
「あなたのことを思って建設的なアドバイスをしているんだ」と言ってくる人、それ全然建設的じゃないことにいい加減気が付いてください。何回も言っていますが、デマはずっと広がり続けるんです。あなた方にはわからないところで、私の日常生活を壊してるんです、デマのせいで失っている信用があるんです。休んだら誰がデマを否定するんですか?せめて「こっちで広まるのを止めるから休んどいたら?」くらいじゃないと休めるわけないじゃないですか。私が否定しなければ誰もやらないでしょう、そんなのこの二年間で学びましたよ。多分あなた方よりも私の方が何倍も誹謗中傷でダメージを受けているし、何倍もこの問題を解決しようと考えています。そんな私にする”アドバイス””、そんなのもうこっちはとっくに考えてるんですよ。
「煽らない方が」と被害真っ最中の私に言ってきた高校生と何が違うんでしょうか。なんでいつもいつも被害者にばかり言及して、加害者が私を煽っていること、デマを流し続けていること、休まずずっと私に依存していることを見ようとしないんでしょうか。おかしくなっているのは私ですか?二年間もずっとブロックされても何回もアカウントを作って毎日毎日リプライを送り続けてくる人か、どちらですか?冷静になって考えてから”アドバイス”してください。
Twitterやめてインスタに行った方がいい?Twitterから離れている間にインスタFacebookYouTubeすべてに同じように誹謗中傷コメントが来ましたけど、どうすればいいんですか?Twitter離れても全然解決していない現実に対してどうお考えなんですか?
良かれと思っての行為で人を絶望させるのが好きなら仕方ないですけど、そういう行為で死にたいと思う人がいることをもう少し考えていただきたい。あなた方のアドバイスなんてもう全部やってきたんですよ。いい加減妄想の中の誹謗中傷じゃなくて、現実を見てください。
一切反論していない伊是名夏子さんや伊藤詩織さんへの誹謗中傷やデマがなくならないの、見てないんですか?
あんなさんから、嘘やDM公開への謝罪はない
そして、いまだに私との個人的なやりとりを「先に」800人の人たちに切り取って公開させたこと、同じオープンチャット内での出来事で嘘をついたこと(石川さんをみんなでよしよしする場だったという嘘)、「ここ二か月は石川さんのツイートを見れていない」と言いながら鍵アカウントで私のツイートを引用していたこと。
あんなさんからそれらに対しての回答や謝罪はありません。
嘘をつかないとか、個人的なやり取りを許可なく出さないとか、フェミニズムとかの前のお話だと思っていました。そして、それをまったく批判しない人たちにもびっくりしています。
何か一緒にする前に、こういうことに気が付けて本当に良かったと思います。
私は、Twitterと現実社会は地続きだと思っています。Twitterでやったことを現実世界にきちんと持ってきて、これからも社会を変えていきたい。
誹謗中傷も、今回分かったようにフェミニストの中でも一部かなり被害を軽視する人たちがいますが、それでも私が#KuTooの運動を始めた当初よりはきちんと問題視されるようになってきたと思います。
セクハラもパワハラもDVも性暴力も、最初はそうでした。
「ちょっと運が悪かったと思って忘れれば」「考えないようにすれば」「しつけだと思って」「それくらい我慢すれば」「あなたがそうさせたんじゃないの?」「夫の言うこと聞くのは当然だと思うけど・・・聞かなかったら叱られて当然では?」・・・
今私が言われることと同じだと思います。
道端でいきなり「ブス」「ババア」「死ね」などと大人数から言われ続ける、という目に遭ったら、見ている人は放置しないと思うんです。仮に放置していて、被害者が傍観者に「黙ってみてないでなんかしろよ!」と叫んで怒ったら、どうします?
「そんな言い方するなんて傷ついた!休め!」とか言えますか?その投げかけられている言葉や人たちのことをガン無視しながら、その人の声のあげかたどうこうの話を延々とし続けるんですか?それって二次加害以外なんなんですか?
同じことがインターネット上では起こっています。
でも、多くの人が見て見ぬふりをしています。
でも、道端で音として「ブス」「ババア」「死ね」と言われても、インターネット上で文字として「ブス」「ババア」「死ね」と言われても、言われた側は同じダメージを受けます。
デマも同じです。インターネット上に流されたデマは、休んだところで何も解決されません。もう何回も言っています。
私が休んだら皆さんが代わりにデマを否定してくれますか?それでデマ潰してくれますか?
それもしないのによくも「休ませろ」とか言えるな、と思います。
そしてきちんと認識してほしいのが、こういう嫌がらせによって声をあげる人がいなくなるということ。つまり女性差別をなくそうという活動をする人がいなくなっていくということ。
私への嫌がらせによって相手が得られる効果って、それですよね。なんでTwitterでの嫌がらせがひどいかって、Twitterが一番社会を動かしてしまう可能性があるからじゃないですか。休めとか言う人、アンチの目的叶えてどうするんだよ。といつも思います。
こちら、元ツイが消されてしまいましたが、優しい方がスクショを撮っておいてくださいました。弁護士さんにお願いする場合はこちらの形式でURLを入れてスクリーンショットを撮らないといけないそうです。
大したことないことだと思いますか。
ぜひ一度、毎日何年間も実名を出してこういう目にあってください。
そうでもしないとわからないのならば。
なぜインターネットの誹謗中傷で自死を選ぶ人が出るのか、なぜ匿名の情報開示請求が簡単になってきているのか、なぜ今多くの人が裁判を起こしているのか、考えてください。
それだけ深刻な問題だし、それだけ軽視されてきたからです。
あと、「石川がアンチを育てた」とか言ってる人。あまりにも知らなすぎです。この人たちは私がフェミニストになるずっと前からインターネット上に存在しています。ずっとずっといます。これまでフェミニストが集団リンチに遭って鍵アカウントに追い込まれてきた例を見てないのでしょうか。
ずっと昔から「ま~ん(笑)」「スイーツ(笑)」など女性を侮辱する言葉が飛び交って、性暴力やセクハラを肯定するような言説が飛び交っていることを知らないわけじゃないですよね?私はそれを可視化させているだけです。この人たちはずっといます。見えていなかっただけで、多くの女性が既にその被害にあって泣き寝入りしているし、それに影響された人たちが日常生活で女性差別を繰り返しています。
表面上の見えているところだけにとらわれないでください。というか、せめて誹謗中傷と闘っている人間の足を引っ張らないでください。本当に迷惑です。
あらためて、嘘のない誠実な対応をあんなさんとその周りの方たちに私は求めます。
しつこいですか?私は自分を黙らそうとする人たちには同じように追求しようと決めているだけです。自分の被害を自分が軽く見ないようにしているだけです。
「言っても何も変わらない」「どれだけ声をあげても誰も聞いてくれない」と思っても、諦めないようにしようと決めているだけです。
すべての人が、自分の遭った被害を自分で軽くみない、そうであってほしいと願います。
**
今回の「ハーフと呼ばない」の件、C.R.A.Cさんが解説してくださっていました。参考までに。
私は変わらず、石川さんが大好きです。
新刊楽しみにしています。
Twitterから遠ざかって数ヶ月経ちます。
改めて、この間…心理学、犯罪心理学の本を引っ張り出しながらこの国について考えていました。
図書館にも通って分厚い本にひらめきをもらったりも(笑)
言っても無駄だと思うには充分な歴史的証拠たち。自我のない(超自我だけで成り立っている)ひとたちが多数だから…。
それでも、変えようと私は小さくとも動いています。目の前の出会った男性たちに話しています。
最近も変わってもらえました。
「あ、これはいつか貴女が言ってた…。痴漢被害者を追い詰めるな、悪いのは絶対に加害者だって
奴と似てるよね。(悪いひとなのを見抜けず
デートに行ってしまってデートDVを受けた話)
無意識につい『なんでそんな男を部屋にあげる?』って指摘しちゃう癖なかなか治らない」
とぼそっと友人が言ったときに嬉しくて
泣いてしまいました。
それは周囲から無意識の上にそれが正解であるかの様に刷り込みされた幼い頃からの記憶だそうです。とても素直で善意の男性でも、無意識の中では
そうなんですよね。
だから、私が最初に被害者のことについて話した時も少しイラッとされていました。
でも、ゆっくりゆっくり…1人の人がそれに気がつくまで否定せずに「私はこう思う」だけを余裕ある時にだけ伝えて…2年近くかかりました。
前述の嬉しい言葉を発してくださった折…
「そういえば、被害者が被害話すのにどうしてあんなにイラっとしてたか。
正義とは、っていうか。黙って耐える弱者っていう被害者のイメージがあって痛い痛いって叫ばないで、なんか戦時中の軍隊の様に限界まで我慢してるもののみが『被害者の正解』で、騒ぐ奴は不正解みたいな刷り込みがあるな」って言っていたのもその通りだなと思いました。
自分が被害当事者になることさえ、許されなかった時代からの連鎖なんですよね。
戦争責任の話とか、被害者は弱くて恥ずかしいという文化のトラウマを(戦争神経症)私たちは、その時代に生き、刷り込みされた上の者に従う文化でまた連鎖させていってしまってて。
支配者が、富むものが正義と言われる限り
治らないのかなって家で夫に愚痴っては
理解者のないジレンマを感じる時もあります。
なので、そこから抜け出すには
「欲しがりません勝つまでは」魂…
傷跡を自分で受け取れるだけのトラウマ回復(自尊心獲得)がないと難しいんだとわかりました。
それにはどこかで「自分をみて知る」という経験が必要になります。本来は親が与えるべき子供の人権…与えられてるのって私たちの年代だと2割満たないんです。
その学習が与えられていない国、人権をバカにされたまんま(きみしにたもうことなかれが今も続いてる)で生きてる人がほとんどで。
特に男性は愛やケアを(文化の中で生きたら)なかなか学ぶことができません。
というより母親からそれを弱さと教えられて育っています。うちも兄がそうでした。
その前提で私はこれからも目の前の出会った人の心をみながら頑張りたいなと生きています。
Twitterに送られてきたのは「だるま」?というAVか何かの写真みたいなので、
女性を道具として(手足を切って)痛めつけてる写真でした。
彼らには「それが女であってほしい。
動ける手段を奪ってでも自分に従順に尽くす
かわいそうな存在になれ」みたいなモノを感じてしまい…怖くてそのIDがなくなってもTwitterに行かれずにいます。
ま、こうして書けているので問題ないのですが。
こういう目に合った人しかみえない世界ってあると思いますが挫けずに私も頑張りたいと思います。
何故そんな事をするのかも「前時代的女が正義」という答えや、「正義正解はひとつだ」みたいな
狭まった教育が元凶だと思いますが^^;
女性にも「自分は男側の家に属してればなんとか生活が成り立つから余計なことすんな」という抵抗勢力も未だにあって、私のまわりは地元に帰るとそういう親戚ばかりです。
いつか動画にあった、「結婚は奴隷」ほんとだと思います。苗字と発言を奪われ、キッチンと親戚法事と男性の自尊心回復の場所のみ与えている、
そういう自覚ない人まだまだ多いですよね。
あと、B’zの「愛しい人よGoodnight」だったかな。あの曲の「まっすぐな想いを卑怯者が踏み躙り」って歌詞を聴くたびに石川さんが浮かびます。
長くなってごめんなさい。
そして、うまくまとまらず、ごめんなさい。
いつも、石川さんをみて、ブログと動画を拝見して自分の小さな一歩への勇気とともに小さな喜びをもらっています♡