フェミニズムに出会って、恋愛がうまくいくようになった話。

こんにちは。#KuTooの署名発信者の石川優実です。

私は今、フェミニストのアクティビストとして活動しています。
そんな中、フェミニズムの間違ったイメージを持った人たちから
「男嫌い」・「モテないばばあ」・「結婚できない負け犬の嫉妬」
などということを言われることがあります。

そもそもまず、「恋愛をする必要は必ずしもない」ということを前提として、それでも私は異性愛者で恋愛をする人間なので、そんな私がフェミニズムを知ってからパートナーとの関係が劇的によくなったよーということをお伝えしたいと思います。

男の人を立てないといけないと思い込んでた時の私

フェミニズム に出会うまでの私が信じてきたものって、私が10代後半から20代後半までいろんなところで目に、耳にしてきた「女は男の人を手のひらで転がしてあげるんだよ」という教えでした。

男の人は子どもだから、機嫌を損ねないようにこっちが配慮していつでもいい気分にさせてあげて、「感情的」にならずに諭すように教えてあげて、プライドを傷つけないように知ってることも知らないふりして聞いてあげて、大袈裟にすごーいとかさすが!とか言ってあげるのが大人の女なんだよ。

私はこれを信じていました。

女性と男性は、脳の作りが違うんだと本気で信じていました。だって、見渡せばそんな本ばっかだし。

「女性性」だとか「男性性」だとか、そんな自己啓発本ばっかり。女性誌の特集もそんなのばっかり。何よりも、「選ばれる女になる」という、かなり受け身の教えが私の周りには溢れていました。私は選ぶんじゃない、選んでもらう側なんだ。
男性に選ばれるような女にならなければ。そう信じていました。

本だけじゃない、周りの人にもかなりこうやって言われました。
今考えれば、周りもこういった社会からの刷り込みがかなりあったんじゃないのかなと思います。

私はかなり素直で従順な女の子でしたので、それを忠実に守ろうと思いました。自分がどうしたいよりも、人が言ったことを全て聞かなければいけないと思っていました。

やればやるほど相手にしてもらえない

ですが、その教えをきちんと守れば守るほど、全然恋愛がうまくいかなかったんです。

喧嘩になった時はなるべく怒らず冷静になって、相手を責めるような言い方にならないように「お願い」っていう態度で・・・とか、ちょっとの浮気みたいなことは許すとか、自分の仕事のうまくいっている話はあんまりしないようにするとか、何かしてくれたらとにかく大袈裟に喜ぶとか、恋愛の指南書通りの言動を心がけていました。

しかし、なかなかうまくいきませんでした。
全然大事にされないし、私も本当の自分の言いたいことなど我慢して相手を立てるとか機嫌をとっていたので常にモヤモヤしている感じ。
そりゃそうです。だって、本来の私は言いたいことをきちんと言いたいし、仕事の話もガッツリしたい。
本当の自分で接していなかったので、とにかく苦しい日々でした。

「自分を大切にすること」からたどり着いたフェミニズム

そんな恋愛啓発本に囲まれていた私でしたが、ちょっとずつ読むものの内容が変わってきました。
「まず何よりも、自分の心を大切にしよう」という恋愛本が増えてきたんですね。
世の中的にも、恋愛に限らず「自分の感情」とか、「心地よく過ごすこと」の大切さが取り上げられてきたのだと思います。
少しずーつですが、「我慢が美学」という考え方はあまり結果に結びつかないのでは?という説が出てきた時期だったと思います。(実際にそういう流れだったのか、単に私の目に入るようになったのか、定かではないですが)

恋愛の本を読むと、今までみたいに男性脳女性脳〜みたいなものも確かにあるのですが、同時に「自分が自分を幸せにしてあげよう!」という流れが出てきたように思います。

例えば、パートナーができたらしたいこと、してもらいたいと思っていることは、今自分でできることはやってしまいましょう!というもの。

これをね、結構徹底的にやりまくりました。自分が望むものを自分が叶えてあげる、という感じ。
すると、かなり自分が満たされるんですよね。
ああ、別に誰かに頼らなくても、自分で自分のことを幸せにしてあげることはできるんだな、と思い始めました。

そうやって、「自分は何を望んでいるのか」「自分は何を嫌だと感じるのか」にとことん向き合って過ごすようになり、その結果私は好きでもない人とセックスをすることがめちゃくちゃ嫌だということを認識し、仕事を失ってもいいからもう自分が望まない人とセックスするのはやめよう、ご飯に行ったりするのはやめよう、そう覚悟しました。

フェミニストになる前、女優やグラビアの仕事をしていた時は、常にキャスティングをするのは男性で、男性側が求めたらセックスにも応じないといけないと思い込んでいました。思い込まされていたと思います。
グラビアでの露出も、やらないといけないと信じていました。そうしないと生きていくことができないと思い込んでいたんですね。

だけど、自分のことを最優先することにしてから、やりたくないことは全部やめました。

だけど私、今でもしっかり生きてます。仕事も無くならなかったし、死んでもないんです。

その結果、「#MeToo 私も。」という記事を書くことになり、フェミニズムに出会いました。
この日まで一生懸命自分の心と向き合ってきた時間と、自分のために生きてあげること、自分を幸せにしてあげること、それが全てフェミニズム だったな、と今は思います。

好きな人に、きちんと怒るようになっていった

そこから徐々に、フェミニズムに出会ってから徐々に、私の好きな人に対する対応が変わっていきました。その当時付き合っていた男性がいたのですが、よく喧嘩をしていました。
で、その度にさっき言ったような感情的にならず、相手の機嫌を損ねないように、というようなことをしていました。

だけど、相手は全然うまくいきません。
むしろ、やればやるほど相手は私の話を聞かなくなっていったような気がします。

私も私で、理不尽なことに黙っていられる人間じゃないので、やっぱり中途半端に怒って、そんな自分を責めて、「ああ、また怒ってしまった・・・」って、繰り返しでした。

相手も、「女の子は感情的だから、怒るとヒステリーになるから話聞きたくなくなる」とかいっちゃってました。その発言にもまたもやもやして。

だけど、フェミニズムをどんどん知っていく中で、私の考えも変わっていきました。

そして、思う存分キレるようになりました。
失礼なことをされたらしっかり怒ろう。
怒ったことに後悔するのもやめよう。
そんなことで離れる人なら、もういいや。

もう、頑張ってすごく怒りました。今までは怒り方をいつも考えながらだったけど、こっちは嫌な思いをさせられてるんだから、そんなのおかしいだろって。怒りなれていない自分は、頑張らないと怒れなかったので労力は要りましたけども。笑

そしたらまず、自分がびっくりするくらいすっきりしました。
嫌われるのが怖くて相手の顔色を伺ってたけど、どうでも良くなって。
あの解放感は忘れられません。
あー!やっと言えた!やっと自分がありたい自分であれたぞ!って。

で、もっとびっくりしたのは、相手が私の話を聞くようになったことでした。
怒ったら絶対に愛想尽かして離れるだろう、と思っていた相手が、私のことを対等な人間として見るようになったんです。

多分ですが、私が相手よりへり下って相手を必要以上に立てることによって、相手は「この女は自分よりも下に扱っても良い人間なんだな」と無意識のうちに思ってしまっていたのだと思います。
私からも、「私のことを対等に扱わなくてもいいんですよ」っていうメッセージになってたんじゃないのかな。

もちろん誰のことも対等に見なければいけないと最初から気付けや!とも思いますが、この日本の社会で男性として生きていたら、本人に自覚がなくても女性のことを下に見てもいいだろうという価値観に洗脳されてもおかしくないとも思います。(だからこそ、社会に溢れるそういった価値観を助長するようなものはなくしていこうと活動をしているわけですが。)

その後その彼は、#KuTooを始めた初期は「男だって革靴が〜」というリアルクソリプを私に投げつけてきたのですが、革靴とパンプスの違いを話したらすぐに理解してくれましたし、署名を出しに行く前日には一緒に書類をまとめるのを手伝ってくれました。

さらに、何も言っていないのに「親が喧嘩してると母親にヒステリーだなって思ってたけど、これも多分女性差別だったな」と話し出したり。

先日なんて嬉しそうに、「女の子とかとみんなで話してる最中に『毛を剃ってない』っていうからさ、『女子ならちゃんと剃りなさいよ』って言った後に『しまった!これだめだ』って思い直して『いや!女の子だからって理由で毛を剃らなきゃいけないのはおかしいんだった!』って言い直せたよ、ゆみちゃんのおかげ!」
と報告してくれました。

なんていいやつ!

こうやって、アップデートしてく人もいるんですよね・・・

その後結局彼との恋愛関係は終わらせましたけど、今でも仲良しです。

その後、恋愛がうまくいくようになったし、うまくいかなくてもいいやって思うようになった

で、男の人を必要以上に立てる必要はない、対等な人間関係を作ることが私の幸せだ、って思い始めてからの方が私はですが圧倒的にモテるようになりました。不思議です。

あと、モラハラみたいなことをしてくる人からはすぐに離れることができるようにもなりました。

若い時に男の人がよって来てたのって、今考えたら単にバカにされてたな、って感じます。

自分が自分を大切にできれば、自分のことを大切にしてくれる人をきちんと見極めることもできるようになると思います。
自己責任論と近いようでちょっと伝え難くも有るんですが、幸せになりたいなら他人を変えるんじゃなくて自分を変えろ、というの、私は確かにそうだと思う面があって。

ただ、多分一般的によく言われる変わり方ではなくて、
「我慢しない自分に、きちんと怒る自分に、変わる」
ということが私は自分の人生を変えたな、と思います。

よく変な人から「文句ばっか言って人のせいにしてても何も変わらないよ」と文句みたいなことを言われるのですが、
「文句も言わない、全て自分のせいだと思っていた自分」から私は変わったんです。
だって、文句言わずに全て自己責任だと思っていた私のときは、私は幸せじゃなかったから。

フェミニズムに出会って、何よりも自分の気持ちを一番に優先してあげるようになって、(それでも今までの癖で気を遣いすぎたりしますけど)きちんと自分のために怒ってあげるようになって、人生がうまく回り始めました。
やっと幸せになれたんです。

自分のことを尊重してくれるパートナーとも出会うことができました。
大好きな仲間もたくさんできました。

それに、パートナーがいなくてもいいか、結婚しなくてもいいか、子どももできなかったらできなかったでいいか、と思うようになりました。

20代の頃は、結婚しないといけないと思い込んでいました。
結婚と出産が人生のゴールだと思い込んでいました。
どこを見てもそれが女の幸せだという情報ばかりだったから。

だけど、フェミニズムに出会った今なら、そんなのは人それぞれだということがわかります。

男性を必要以上にたて、自分を対等な人間ではない・下の存在だと安心させて得られる条件付きの制限された幸せは、抜け出してみないと気がつけなかったな、と感じます。

けれど、そこから出てしまった自分はもう、二度とあんな場所には戻りたくありません。
我慢しなくていい、機嫌を取る必要なんてない、そんなことしなくたって生きていける。
それに気がついてから、私は違う人生を生きているようです。

今が本当に幸せな人はそれでよいと思います。

だけどどこかで少しでももやもやしていたり、我慢している人は、もっと幸せになりたいと、贅沢になってもよいのかもしれません。

望まなければ、叶いません。
望めばきっと、何かが変わります。

まずは自分が何に幸せを感じ、何をしたくて何をしたくないのか、「自分には無理だから」という心のブレーキを外して心の中でだけでも考えて妄想してみるところから始めてみてはいかがでしょうか。

昔の私は、「ライターとして記事を書きたい」と願うことすらできませんでした。自分にはそんなこと、夢見る資格がないと思っていました。
だけど勇気を出して、願ってみました。
そしたら、本まで出版できるようになりました。お金をいただいて記事を書くことも出てきました。
自分には何もできないと思い込んでいた、思い込まされていたときのことを考えたら信じられないことです。

ありきたりな言葉ですが、人生は一回しかないし、いつ終わるかわかりません。
明日死んでもできるだけ後悔の少ないように、今を生きていたいなと思います。

皆さんもよかったら、少しだけ勇気を出して自分の幸せを願ってみませんか。
これまでと全く違う世界が見えるようになるかもしれません。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

お申し込みフォーム

次の記事

有料記事テスト