自分で自分を愛するなんて無理
私は多分、愛着形成というものがうまくいっていない人間なのだと思う。
寂しいという気持ちが満たされることがなくて、常に自己否定している、常に何かしらの不安を抱えている人間だ。
そのこと自体に気がついたのは、30歳くらいだった。
寂しいという気持ちがやたら強くて、東京に出てきてから常に人といることを求めたり、夜になっていくのが不安で仕方なかった。日が沈んでいくのが怖い。
何に対して怖がっているのかは自分でもよくわからない。多分、存在しないものに対して怖がっているから、解決がしないのだと思う。
親から褒められた記憶がない
こういう自分に気がついて調べると、大概親との関係性について何かあるのでは?という記事がたくさん出てくる。
実際、幼少期の親との関係は大人になってからも大きく影響を及ぼすのだそうだ。
私は、親から褒められた記憶がない。
国語で学年1位だった時、高校の入試が2位だった時、専門学校に入るときに学費の一部が免除になった時、映画で主演が決まった時、BBCの100人の女性に選ばれた時、流行語大賞にノミネートした時。
どれもノーコメントだった。
逆に、数学のテストで7点を取ったときも、成績がどれだけ下がっても怒られたこともない。
ただ、人格についての否定はよく記憶している。
私の性格について、いいところを言われたことはなかったけれど、母が私について良くないと思っていることを指摘されたことは何回もある。
「お母さんとお父さんからあんたみたいな性格の人が生まれてくることが信じられない」ということもよく言われた。
そのせいか私は、自分にもいいところがある、なんてことは思いもせずに30歳くらいまで生きてきた。
それに、私の時には大喧嘩したことが、妹たちは当たり前のように許されたこともショックだった。コンタクトとか携帯とかそんなものだったけれど。私の時は大泣きして大喧嘩して、すごく人格を否定された。なのに、妹たちは私の年齢になる前に普通に与えられた。なんだったんだろう?
率直に、頑張った時に褒めてもらいたかったなと思う。テストでいい結果が出た時はやっぱりそれなりに頑張った時だったし、だめだった時は努力が足りない時だった。そういう時に、その場その場で興味を持って欲しかったな、と思う。
悲しいことがあった時には、抱きしめてほしかったな、と思う。
私は今、信頼したパートナーにそれを必要以上に求めてしまう傾向がある。
そして、どれだけ抱きしめてもらっても、いつまで経っても安心しきれない。
2017年に、#MeTooの記事を書いた。その中で、性暴力に遭った時の話を書いた。親の話も書いた。
アフターピルを飲まなければいけない時、どうしても親に話すしかなく打ち明けたところ、「どうしてあんたは・・・」と言われた、ということを書いた。
そのことに対して、「なんでああいうことを書くんだ、お母さんが警察に連絡しなかったことを責められるではないか」というようなことを言われた。すごくショックだった。被害にあった時も、記事を書いた時も、その後も今日の今日まで、母は性暴力に遭った私の心配を表明していない。いつでも、「心配させられたこっちの気持ちを考えろ」というスタンスだった。それは心配というのだろうか。
うちはDVや虐待とは縁がない、とても「普通な家庭」だと思っている。両親は私を普通に育てたと思う。問題なんてなかったと思う。叩かれたこともない。むしろ私が叩いたことはあったかもしれない。
だからこそ、私は母を嫌ってはいけないと思っていた。嫌わないように生きてきた。
やっぱりもう嫌いになりたい。無理に「お母さんを尊重しなければ」みたいなのはもういいやと思うようになった。
そう思って、元旦の誕生日に来たメールを初めて無視した。「充実した日々を送ってください」とか言っていたけど、私がオンラインの誹謗中傷を受け続けていてどうしても死にたい気持ちから逃れられない適応障害になっているような状態を無視した母から言われても、何言ってんだとしか思えなかった。
初めて母の誕生日にもメッセージを送らなかった。(むしろなぜ去年まではきちんとお互いに送り合っていたのだろうか。真面目なんだろうなお互いに)
これでいい。母に何かを求める必要はないし、連絡を取り続ける必要なんてない。今後の私の人生に必要な人ではない。一生関わらなくても生きていけるだろう。
自分で自分を大切に、みたいなやつ無理
ただ、結局きちんとなされなかったであろう愛着形成はどうすればいいのだろうか?
「自分で自分を満たすことが大切」とか言われて、ずっと頑張ってきた。でも、頑張っても頑張ってもキリがない。
自分で自分を満たそうとしても満たされないから困ってるのに、解決方法は「自分を満たすこと」「自分を好きになること」「自分を大切にすること」・・・だからそれじゃ満たされないんだっつーの!とブチギレているのが今である。
だからと言って好きな人にどれだけくっついていてもらっても、よしよしとしてもらっても、ぎゅーとしてもらってもたくさん泣かせてもらっても帰ってしまったらまた元通り。
それに、私はどれだけ仕事でも成果が出ても満たされたことがないのだ。
BBCの100人の女性に選ばれたり、流行語大賞にノミネートしたり、本を出したり雑誌の取材を受けたり、これまでの夢だったもの以上のことがどんどん叶っているはずなのに、いつも先の不安ばかり。やってもやってもキリがない。仕事に限らず、なんだか全てがそうだ。これが愛着形成がうまくいかなかったということなのだろうけど。
これを解決するには「今ここにいることを意識することが大切」とかいうのでヨガとか瞑想とかしてますし感覚的にはわかるけど、そんなのも結局一瞬で終わってしまう。それすらその時だけの満たされた感じがするもので、終わったら終わり。むしろマイナスかのように感じてしまう。
そう、私は本を出版する前とか、何かにノミネートされる前とかよりも、今の方がもっと足りてないと思い込んでしまう。積み重ねる感覚が持てないのだ。
世の中の人たちがみんな、「今ここ」的な修行で心が回復していくのが羨ましい。私はやってもやってもずっとダメ。もう私には一生安心して過ごすことはできないのか。
簡単に「自分を愛しましょう」とかいうけど、そんなのできるんだったらとっくにやってるよ。自分が自分を認めることが大切だ、とかいうけどさ、私は自分よりも人に認められたいよ。自分よりも人に愛されたいよ。
*****
石川優実最新著書「もう空気なんて読まない」は河出書房新社から発売中!
「もう空気なんて読まない」特設サイト