私がしてきた「反射的に反論するエクササイズ」
私は、感情を出すことが苦手な人間です。
喜怒哀楽、全てがデフォルトではなかなか伝わりにくいです。
基本的にテンションが低い人間で、あんまり嬉しいとか悲しいとか顔に出さない、というか出せないんですよね。
芝居をするときは本当によく言われました。
私は特にこの1年、Twitterで「怒る練習」をしてきました。
怒ることに慣れていない私は、差別的な発言に対して反射的に反論することができないので、Twitterという「怒るために一息考える時間がある場所」でならできるんじゃないか、と思い実行しています。
そのおかげもあって、私のことを「いつも怒っている感情的な人」と見る人が多いようです。成果が出ているようで光栄です。
なんでツイートという文字しか見えないのに、私がどんな顔をしてツイートをしているか知らないのに、私が声を出して怒っているシーンを見ているわけではないのになぜそう思うのか、すごく不思議ではあるのですが。
私は「これには怒らなければいけない」と思ったツイートに対して、大げさに語気を強くして怒ります。自分が普段日常で使う言葉の、10倍は強くしていると思います。
なぜかって、「怒っているということ」を見せるためには私は大げさにしないと伝わらない人間だからです。
そんな私でも、いまだに現実世界では差別的であったり侮辱的な発言に対して反射的に反論することはなかなかできません。
後になって、「あれはひどかったな」「なんでその場で言い返せなかったんだろう」「なんで笑って流してしまったんだろう」と、悔しい気持ちでいっぱいになります。
少しずつ、言えるようになってきたけれど、やっぱり特にまさかそんなこと言われると思わなかった、というような状況でそれをされるといまだに難しいです。
さて、差別的な言動をぶつけられた時に「反射的に反論しないエクササイズ」、そんなのは多くの女性がエクササイズするまでもなくとっくの昔から体に染み付いていることだと思いますが、まぁそんなエクササイズを頑張ってするとしましょう。
そして、その場では反論せずに後になってそれについて指摘しようとするとどうなると思いますか?
「なんでその場で言わなかったんだ」
「あんなに笑ってたのに?」
「嘘つくな」
「ちゃぶ台返しだ」
って、責められるんですよ。
どれだけその場では言わなかったって言っても、そんなの聞いてもらえませんよ。反射的に反論しないようにしないと話を聞いてくれない相手が、後になってどれだけ冷静に説明しても聞いてくれるわけがないです。
どんな対応をしても、あなたの気持ちなんて1つも聞いてくれません。だって対等だと思ってないから。
「お気持ち」がない、人間じゃない存在だと思っているから。だから「お気持ち」を持つと馬鹿にされるんです。人間が誰でも持っている気持ちを、むしろ人間の中で一番大切なはずの「お気持ち」を、ないかのように扱われるんですもん。
相手がこっちの話を聞いてくれるように気を遣って話す?
その相手、自分の話を聞いてもらうためにこっちに気を遣ってくれたんですか?
相手の話の聞きやすいようにこちら側が下手に出て、相手の機嫌を損ねないように、穏やかにうまく・・・
それって自分から進んで、「私はあなたより下の立場の人間です」って表明しているようなもんですよ。
本当に全ての人間が対等になるためには、まず自分が自分を相手と対等なんだと信じてあげることから始まると私は思っています。
向こうに「降りて来てもらう」、じゃない。
こっちがむこうと同じ高さになるんです。
むこうは今持っている、私たちが死ぬほど欲しい権利(性犯罪にあわない権利、化粧やヒールを義務付けられない権利、入試で差別されない権利、子どもを持ったときに仕事を諦めなくても良い権利、などなど)を、誰かに気を遣って許しをもらって理解をしてもらって得たと思いますか?
そうじゃないはずです。そうでなく、最初からあったはずです。だったらこっちだって、そんな理解得ずにその権利を持てるはずです。
少しだけ自己責任論みたいになってしまいました。
私はが怒っているのは、相手を変えたいからじゃありません。差別してくる人たちに怒って何かを変えようなんてちょっとも思っていません。
私は、差別されている側の人が自分も怒る権利があるんだということを知って欲しくて怒っています。
誰かに許可を得なくても、私たちは同じ権利をみんな持っているんだということを知って欲しくて活動をしています。
堂々としていましょうよ。
こちらの話を聞かない人に、話を聞いてもらう努力なんてしなくても良いはずです。
むこうが聞かない権利があるのならば、こちらにだってその権利があるはずです。
もちろん、ちゃんと聞いてくれる人とは存分に対話をしましょう。
話をそらしたり、言ってないことを言ったかのように言って来たり、こちらの気持ちを勝手に決めつけるような人は、話を聞くつもりがありません。それは対話なんかじゃない。人間対人間のコミュニケーションじゃない。
そこの区別は、結構すでにわかるはずです。
私はこれからも、Twitterで頑張って怒っていこうと思います。
大変ではあるし無理もしているけれど、それでも私自身がそれを一番喜んでいるからです。
ちゃんと怒ってくれてありがとう、と、私は自分に言いたいです。
どうか、許せないと思ったなら、自分のためにも怒ってあげてください。
怒りを、自分で勝手に「いけない感情だ」と決めつけるのはやめてください。
自分の人としての尊厳を守るための大切な感情です。
どうか、自分を一番に大切にしてあげてください。
全ての人が自分のことを一番大切にすることができれば、人を傷つけたい人もきっと少なくなっていくと思います。
私が目指すのはそんな社会です。