第3回 へんてこりんな日本語読解が認められるかが実質的な争点だったこと #KuToo裁判では何が起きていたのか
2019年11月に出版された私の著書「#KuToo:靴から考える本気のフェミニズム」について裁判が行われました。その裁判ではいったい何が起きていたのか、記事にまとめています。
脳が溶けそうなやりとり
さて、本件裁判がどれだけばかばかしい、Twitterでよく見る風景である「まったく日本語がかみあわないやりとり」がそのまま法廷に持ち込まれたというものであったかという肝心なところを説明していきます。
以下の判決文の「別紙」部分(29~42頁)で、
ア 私が本の中で引用した原告のツイートとそれが含まれるスレッド全体(31〜39頁)
イ その原告のツイートを引用した私のツイート(40頁)
ウ 原告のツイートを「クソリプ」のひとつとして掲載し批判した私の本の頁(41頁)
が読めます
脳が溶けそうになっちゃうと思うんですが、これが基本情報なので、事案全体を正確に理解して頂くために、すみませんがぜひ読んで下さい。
弁護士が就いてもこんなへんてこりんな文章の読み方をもとに裁判起こしてくることがあるんだ(@_@)という本件裁判の脱力感の深さも、これを読んで頂かないと正確にはわからないんです。
ア に、原告のツイートがありますね。
これを読んで私は、KuToo運動への批判だと理解しました。
それでイ、ウにあるような批判をし、「クソリプ」と表現しました。
これについて原告は著作権法違反(複製権侵害)だ、適法な引用として認められるための条件である「公正な慣行に合致」にあてはまらない、原告のツイートの「趣旨が歪められて本件書籍に掲載された」と言っています。
そこで、いったい「原告のツイートの本来の趣旨」をどう読むべきか、というのが大前提として裁判でも認定する必要があるわけで、これについての原告の主張が、何度も言いますが、へんてこりん なんです。
原告が主張する、私が「原告のツイートの趣旨を歪めた」という理由は、大きくまとめると以下です。下線部がへんてこりんな箇所です。
A 本件原告ツイートは石川やKuToo運動に対して向けられたものではなかったのに、石川はそうであるかのように本で引用した
B 本件原告ツイートは石川に直接リプライしたものではないのに、「クソリプ」と称したことによって、そうであるかのように本で引用した
(ここで、何人もの人が「なにそれ??」となってしまう「クソリプ定義論」が関係してきます。特にここのところ、原告の主張書面は、吉峯耕平弁護士の主張のままでした https://ishikawayumi.jp/20210526kutoo/)
C 本件原告ツイート内にある「#kutoo」はハッシュタグ化していなかったのに、私の本では「#KuToo」と「ハッシュタグ化」されている
まず「A 本件原告ツイートは石川やKuToo運動に対して向けられたものではなかったのに、石川はそうであるかのように本で引用した」 なんですけど、
いやいや、本件原告ツイートは、普通に読んだら、#KuToo運動を批判してませんか?? 私はそう理解しました。そして、判決もそう理解しました。自分のこのツイートは#KuToo批判とは関係ない!と言ってるのは原告側だけです。日本語読み方が実質的に争点だった、と言っているのは例えばこういう点です。
へんてこりんな主張に対する判決
これに関する判決文は以下の通りです(24頁)。
「原告は、本件ツイートの本来の趣旨は、会話の相手方であるゴリラに対し、職場における服装のTPOを理解させるために、極端な例を用いて説明を試みたものであり、「♯kutooの賛同者」とはゴリラを指すのであって、本件活動(石川注・♯KuToo運動のこと)を批判するものではないと主張する。
しかし前記判示のとおり、本件スレッド上のやりとりは、「#KuTooに反発する人へ」と題する引用ツイートがツイッター上に投稿されたことから始まったものであり、原告は本件活動に賛同する旨を表明したゴリラの主張を批判、反論するツイートを繰り返した上で、本件ツイートにおいて「#kutooの賛同者は」と記載しているのであり、これによれば、本件ツイートの趣旨が本件活動への批判・非難にあることは明らかである」。
読んでいるみなさんもあまりのへんてこりんさにお疲れのことと思いますので、今回は短めに終わります。さあ、次回はあの「クソリプ定義論」についてです。