制限付きの幸せを願う私たち

自分の本当に心の底から願っていることはなんだろう?
皆さんは考えたことがありますか?

なんっのしがらみも条件も現状も何もかも考えなくて済んだときにご自身が望んでいることって果てしてなんでしょうか?

今この瞬間、ちょっと考えてみてください。ちょっと怖くないですか?
なんか心で抵抗が生まれませんか?
もしそうなら、もしかすると私たちは夢を持つことを制限されてきたのかもしれません。

消極的賛成

この言葉を初めて知ったのはとても最近でした。沖縄の辺野古新基地問題の時だと思います。ちょうど玉城デニーさんが当選した直後、沖縄の人と話す機会がありました。その人は佐喜真さんに投票したと。なんでだろうと話を聞いていたら、「どうせ基地はなくならないんだからなくならない前提で政治をしてくれる人に入れる」と。

すごく変な気持ちになりました。

これって、「基地はなくなってほしい」と思っていないと出てこない言葉だよな。ううう・・・

日本にはこれが溢れ返っていませんか。
自分が本当に何を望んでいるのかすら表明できない人が多くありませんか。

でも、この気持ちはすごく分かります。私たちって、ずっとこういう呪いの中で生きてきたから。

幼い頃から、「好きなことを仕事にはできない」とか、サラリーマン以外の仕事を目指すと「そんな夢ばかり見てないで」とか、「音楽で・芸能で食べていけるわけがない」とか、「一番好きな人とは結婚できない」とか、「政治家や金持ちは自分の利益ばかり考えてる奴らだからどうせ自分たちのことなんてわかってくれない」とか、「そんなお金なんて稼げない」とか、「人生そんな簡単にうまくいくわけない」とか、「差別はなくならない」とか、「戦争はなくならない」とか。

私は思います。

そもそも始めから制限付きの夢じゃ、叶えようがないじゃないか。

目標設定をするということ

私は目標や夢・望みをしっかり可視化させることは夢を叶えるためにすごく有効だと思っています。

目標設定をすると、そこにたどり着くように思考や行動が組み立てられていくと聞いたことがあります。その目標を叶えるための行動や思考を選択できるようになるといいます。

これが本当ならば、制限付きの目標を立てても限界があるわけです。そこまでしかいけないわけです。

例えば自分の例でいうと、私はグラビアをやり始めてしばらくは、本当は女性向けの活動がしたかったけど自分はとびきりの美人とか女性受けするような容姿じゃないから、男性向けのコンテンツでしか活動できないだろうな、と思っていたので(そう言われてもいました。)目標が「男性向けの作品でうまくいきますように」だったわけです。「本当は女性向けのことをやりたいけど無理だから」という気持ちに上書きをして。

もちろんこの時期、女性に向けるような発信はしていません。だって無理だと思っているから、やる意味もないと思っていました。やったところで無理ならば、それに時間をかけても仕方ない。自分ができるのは男性向けのエロコンテンツくらいだろう。それしか自分は需要がないだろう。(誤解しないでほしいのは、男性向けのエロコンテンツを悪だと言っているわけではありません。ただ、「私は」積極的にやりたいわけではありませんでした。)

心の中では本当はこれじゃないことがしたいのにな・・・と思いながら。
楽しくない、幸せでもない、#MeTooで書いたようなことが起きるような毎日を送っていました。

制限を外してみた

だけど私は、制限を外してみました。今の現状とか、私の容姿とか性格とか素質とか、価値とか、生産性とか、そういうの一切考えることをやめて、そんなの関係なく「私は一体どうなったら幸せだと思えるのか」をとことん考えてみました。

だから、「私は女性向けのエロをやりたい」と願ったし、「自分が納得できない、自尊心を失うような男性向けのエロはやらない」と願ったし、「好きなことを仕事にしたい」と願ったし、「映画で主演をしたい」と願ったし、「本を出したい」と願ったし、「自分が本当に思う幸せを目指して生きていきたい」と願ったし、「全ての人が差別のない世の中で生きていけますように」と願ったし、「女性向けのファッション誌とかで取り上げられたい」と願ったし、「フェミニストとして自分の思想が広がって多くの人を救うことができますように」と願ったし、自分の素質や今までしたきたことなんて全部無視してまず自分の本当の願いをとにかく都度都度確認するようになりました。

すごく勇気がいりました。考えるときにいつも、「お前何言ってんのw」って誰かが心の中で攻撃してくるんです。誰だろう?
実際に言われたこともあった言葉です。
投げかけられた言葉。
ネット上でもたくさん言われました。

「お前レベルが売れると思ってんのw」

こう言われてきたし、こう信じてきた。私は長いこと諦め前提の幸せしか願ってきませんでした。

だけど先ほど書いたように、勇気を出してその制限がある中でも自分が本当に望んでいることに向き合い始めてから人生がガラッと変わりました。
本当に望んでいることに向けて、私の行動や思考が確実に少しずつ変わっていったのです。

消費税、なくなったら嬉しくない?

なーんも考えず、「消費税なし」か「消費税10%」だったら、どっちが嬉しいですかね?

国がどうこうとかそんなのはマジ置いといて、自分のことだけ考えて、制限なんてつけなくて、どうなっても今後の日本も子供たちも大丈夫ということになった時にどっちが嬉しいですか?

私はない方が嬉しい。

今回山本太郎さんの政策を聞いて、「そんなの無理だから、夢物語だから支持しない」という人がいました。それって、「本当はゼロになってほしい」ということだと私は思います。

私は、消費税ゼロにすることが本当に実現可能なのかは実際問題よく分かりません。山本太郎さんはただ言っているのではなくちゃんとその方法も丁寧に伝えているけれど、それが本当にできるのか私は素人なので分かりません。

だけど、そんなのは置いといて私は「消費税なくなったら最高に幸せ」と思うのです。10%よりも8%よりも5%よりも3%よりも、なしが一番私の幸せです。

だから私は望みます。

だから、「10%なのは仕方がない」という政治家よりも、「消費税をなくすために頑張る」という政治家の方が好きです。結果どうであれ、最初から諦めている人とそのために行動する人を比べたらやっぱりちゃんと挑戦しようとしてくれる人が好きです。

まずは個人の幸せから願ってみませんか

国なんて大きなものじゃなくていいと思います。

せめて自分だけは、まず行動も何もしなくていいから、自分がどうなったら本当に幸せなのかの妄想くらいしてもいいんじゃないですか?

叶うとか叶わないとか置いといて、妄想だけならタダです。
何も条件や制限がないならば自分は何を望むのだろう?何をするのだろう?

それが可視化されるだけで、きっと選ぶ行動や思考が変わってきます。

怖いと思います。今まで自分で自分を抑制してきたのだろうから、最初は怖いです。自分がそんなこと願っていいとは思えないから。

だけど、心の中はみんな自由なはずです。
何を思ってもいい。心は限りなく自由でとても広い広い宇宙のようなものです。

願うだけなら失うものはないはずです。

ぜひお試しください。

案外、簡単に外の世界も変わるかもしれませんよ。

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