私は死にたくありません。

死のうと思うことを書くと、「かまってほしくて言っている」と言われることが多いのですが、私は私にかまうことをやめてほしくて書いていることをご理解ください。

これまでの人生で、自分で死のうと思ったことは一度もありませんでした。今でも私は死にたくありません。
死ぬことは怖いです。私は生きていたいです。

しかし、#KuTooの運動を始めてから、死ななければいけないのだろうなと考えることが多くなりました。

初めて頭に死がよぎったのは、自分の書いた言葉を全く関係のない事柄に対して言っているかのように他人がツイートし、それにたくさんのいいねと拡散がされていくのを見たときでした。

そのあたりで私は初めてTwitterで「死にたくなるからやめてほしい」と呟いたと思います。2年ほど前でした。
それに対して、同じ人物が「あなたが死んでも何も変わりません」というようなことをツイートし、それに何千ものいいねがついていました。その次の日、私は出勤中の電車の中でパニックを起こし、しばらく電車や街中に行けなくなりました。

その時から今日まで、ずっと死ぬことを考えています。

同じようなことがずっと繰り返されているからです。思い込みや偏見で私が思ってもいないことをまるで事実かのように書かれ、拡散されます。最初に書いた「かまってほしいんだろう」もそうです。活動を「売名だ」ということもそうです。明らかなデマもたくさん広められました。今も岡村さんを降板させてくれという署名を始めたのは私だと信じている人もいるし、私が葬儀のバイトにスニーカーで行って注意されて逆ギレして#KuTooの運動を始めたと思っている人もいるし、寄付のお金を使い込んだと思っている人もいるし、「石川は洗脳されている」と信じている人もいます。

そして、それを私がいくら否定してもまた新しい偏見を広められ、さらには「言い方」を私にだけ注意してくる人が出てきます。
優しい言い方をしても誰も聞いてくれなかった、偏見や思い込みで話すのもデマを広めるのも誰もやめてくれなかった。その結果今までどこにいたの?というような人が私の言い方を注意しにやってきます。

そして、「これはデマだから事実を広めてほしい」というツイートはほぼ反応がない中、裁判に勝ったり髪を切ったり可愛いワンピースを着たり情報開示請求が成功した、などというツイートはいいねがつき拡散されます。
あ、みんな私のツイート見えてたんだ、普段は見えててずっと3年間くらいオンラインハラスメントを受けている私を見て見ぬふりしてたんだ、ということがわかってその度に私は絶望します。

ブロックは1000件をゆうに超えています。新しく作られたアカウントからフォローされるたびに絶望します。何をしてもダメなんだ、と思わされるます。何をしても、なにをしなくてもだめ。

だから私は、死ぬしかないのではないかと考えています。

Twitterは今は別の方に管理してもらっています。(何度も言っていますが、私が考えていないものが投稿されたことは一度もありません。管理してもらっている方に「こう投稿してください」と言って、それをコピペでツイートしてもらっています。他の誰かが呟くことはこれまで一回もありません。全て私の言葉です。)
それでも、インスタやFacebook、仕事の問い合わせにも嫌がらせが来ます。

Twitterを離れても何も解決しないし、そもそもなぜ私がSNSから離れなければいけないのでしょうか。誰もがSNSを使う権利があるはずです。そう思うと、インターネットを見ないという選択は私に人間としての権利がないと言われているようなものなので、それもまた死んだ方がいいのではないか、と思わせる大きな要素になります。

休んだほうがいい、病院に行ったほうがいい、美味しいご飯でも食べて、好きなことをして。
これらも全てやっています。

でも、ネット上に私のデマがある以上休んでも病院に行っても美味しいご飯を食べても好きなことをしていても、何も解決しません。
病院に行ってその先生が私に関するデマを見て信じていたらどうしよう。そう考えると、気軽に新しく人と関わるかもしれない場所にもいけません。外でご飯を食べることも好きでしたが、怖くなりました。

何をしても解決しないし、そういうことはやめてくれと言ってもやめないから、やっぱり死ぬしか方法が思いつきません。

きっと、死んだらこれまでのことがニュースで取り上げられると思います。かなりオンラインハラスメントに関しては発信してきましたから、これまでの発信も併せて取り上げられると思います。何よりも、今私に誹謗中傷している人たちもやめざるを得なくなるし、周りで見ている傍観者の人たちも本当に誹謗中傷受けていたんだな、と認識すると思います。というか、死なないとやめないし死なないと私が被害に遭っていることは多分わかってもらえないんじゃないかと思います。
死ねばきっと、「そんなに思いつめてたなんて・・・」と思う人が増えるんじゃないでしょうか。今は生きているからそうは思ってもらえないのだろうと思います。

それにやっぱり、死んだらもうデマが広められて苦しいという思いもしなくていいのか、と思うと、解決策としてそれしかないのかなとも思います。

これまでは、デマや思い込みをもとにしたツイートが広められたとき、でも広まるのが止まらないとき、お酒を飲んで麻痺させて過ごしてきました。お酒を飲むと考えなくて良くなるので、その時はシラフの状態よりは楽でした。
ただ、最近はどうやって死ぬのがいいかを具体的に考えたりすることや、その頻度が短くなってきて、お酒を飲んでいる時にうっかり実行してしまいそうで怖くなり、これもまたどうしていいのかわからなくなっています。

自分が死を選択しないように、戦っています。怖いです、一度包丁を手にするところまで行きました。怖くて自分は刺せなかったので、タオルを持ってきて丸めてそこをたくさん刺して落ち着きました。
踏切で待っている時は決まって行くか行かないか考えるようになりました。自分をいつまで止められるのか、私にはわかりません。

パートナーには何度も何度も止めてもらいました。でも、四六時中一緒にいられるわけではないし、もうこんな負担を彼にもかけたくないです。

本が発売されたて二日間で、Amazonレビューに星一つの評価が11個付きました。まだ正式な発売日前で、Amazonは先行して発売しました。でも、星一つをつけているユーザーは誰ひとりAmazonで購入していません。都内から少しずつ本屋さんでも届いているらしいので買って読んでいるのかもしれません。ただ、どれも読んでいなくても書けるようなもので、内容に触れたものはありません。

Twitterで抗議すると、「低評価をつけられたからと言って負け惜しみですか」というような反応が返ってきます。低評価をつけるなじゃない、読んでいないのに読んだていで評価をするなと言っても、何も通じないし止まらないし、Amazonも対応はしません。

こういったものたちに、私はもう耐えられません。

私がいまここに記録しているのは、何かあった時に誰かに勝手に代弁されたくないからです。実際に誹謗中傷を受けているときの心情を書き記すことは、今後日本においてオンラインハラスメントをなくしていくためにきっと必要になってくると思うからです。

繰り返しますが、私は死にたくありません。でも、死ぬ以外にいい方法が見つかりません。もう、私にネットを見るなとか言ってこないでください。言われるたびに「死ぬしかないのか」が蓄積されて、自分でもどう止めていいのかわかりません。

これを見たら、もう思い込みで私について書いたりデマを流したり、自分の目と耳で確認していない私についてのことを広めるのはやめてください。かまうのをやめてください。もう「かまってほしいんだろ」と言って私に「記事を読んでください、かまってほしくないから書いている」と説明させるのをやめてください。

もう私の中で死ぬ理由は十分になっています。お願いします、と言わせないでください。デマを広められているのにお願いさせられるたびに自尊心が削られていきます。

私は皆さんに死ぬことを止めてほしくて書いているのではありません。だから、私に対して「死なないで」という言葉はかけないでほしいです。私だって死にたくないのです。死なないでという言葉は私が私に十分もうかけています。

私に死なないための方法を伝えるのではなくて、オンラインのハラスメント・デマ・差別にNoと言ってください。

こんなこと書きたくありません。でも書かないと、死ぬにしても死なないにしても変わらないと思うので書き記しています。